SDGsか?! (ほんの紹介50回目)(回数訂正)

2022年4月にたこの木通信に掲載した「ほんの紹介)の原稿

SDGsか?!

(ほんの紹介50回目)

  前回、『ケアブーム』の到来か、と書いたのだが、ブームといえば、SDGs。前回紹介した斎藤幸平さんは「SDGsは民衆のアヘン」と主張する(『人新世の資本論』他)。それがとても気になっていて、ブログに書いたりした。「SDGsはアヘンでもあるけど、綱引きの場と考えたほうがいい」というタイトル https://tu-ta.seesaa.net/article/202103article_3.html。このキーワードでグーグルやヤフーで検索すると出てくるが、なぜかDuckDuckGoでは出ない。この綱引き、現状はSDGsを主張しながら、SDGsの基本理念とは反する方向に向かう勢力の側が圧倒している。ブログに書いたのだけど、『綱引きの場』というのは、現状のシステムをあまり変えたくない大企業や国家のSDGsと本当に根本的に変えなければ地球はダメになると考える人たちのSDGsとの綱引きだ。さっきも書いたようにテレビなどで宣伝されるSDGsはほぼ、前者によるもので、社会を根本的に変えることが必要だと主張するSDGsはまだまだ微力であるようにぼくには思える。このままいくと、コンビニやファストフードやファストファッションが主導するSDGsに引きずられて、根本的な変化など起きないような絶望的な気分になる。

 そう、SDGsの基本理念は美しい。『日本のSDGs それってほんとにサステイナブル』(高橋真樹著、大月書店2021年)で「二つの大きなコンセプト」として紹介されているのが以下。

1,        誰ひとり取り残さない。

2,        トランスフォーム。

 この2番はいったい何、って話なのだが、『抜本的な大転換』だとされている。その二つさえ抑えていれば、17のゴールとか、まあ覚えなくてもなんとかなるような気がするっていうか、ぼくは覚えていない。

 「綱引きの場だ」というコンセプトをぼくは古沢広祐さんから学んだように思う。まだ、SDGsのことをほとんどの人が知らない2016年頃だ。彼は『食・農・環境とSDGs』2020年農文協)という本を書いている。そこでその話を目次から探したのだけど、見つからなかった。ちなみに、この本は、SDGsっていう話を超えて、古沢さんが描く、こうあるべき社会像とそこにたどり着くために何が必要かというような話でもあると思うが、ちゃんと読んでない(汗)。

 『SDGs‐危機の時代の羅針盤』(2020年岩波新書)は日本政府の外交官でSDGs成立に向けた交渉官だった南博さんという人と、NGOのメンバーとしてMDGsの頃から長くSDGs的なものを「市民社会の側」から追いかけてきた代表選手みたいな稲場さんの共著。ここにSDGsの成立過程が詳しく描かれている。ギリギリの交渉で薄氷を踏むような形で成立した経過はちょっとドラマチックだ。

 ロシアによるウクライナ侵略で兵器産業がガバガバ儲けている。SDGsがめざす地球の持続可能性から一番遠い話だ。そこでSDGsはとても無力なものに思えてしまう。破壊しかもたらさない兵器がなければ対抗できず、暴力支配が進行するという絶望がある。

 プーチン大統領個人の資質がうんぬんと言われたりするが、悪いのは彼だけだろうか? これをきっかけに、「ほら武力がもっと必要だ」と主張して、戦争からの利益を引き出そうとする人の群れ。経済的な利益だけでなく、戦争反対を主張する人間をコントロールすることが利益であると考える勢力、いまでも原発を推進する勢力。それらを支える凡庸な悪。

 戦争による殺戮や破壊を前にSDGsはまったく無力じゃないかと叫びたくなる。本当に状況は絶望的だ。ちゃんと絶望すべきなのだと思う。その先に、ほんのかすかな希望を探しながら。

にしても、読み返すとわかりにくい文章だ

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原稿ココまで

参考URL
SDGs――危機の時代の羅針盤 (岩波新書)メモ
https://tu-ta.seesaa.net/article/202204article_1.html

SDGsが求めているのはインクルーシブ教育(2022年2月加筆訂正)
https://tu-ta.seesaa.net/article/202105article_1.html

「誰一人取り残さない-No one will be left behind」(追記4月28日)
https://tu-ta.seesaa.net/article/201904article_3.html

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