2022年6月12日【第4回たこの木連続講座のお知らせ】『出禁(出入り禁止)のことを考えよう』感想追記

【第4回たこの木連続講座のお知らせ】

『出禁(出入り禁止)のことを考えよう』

(タイトル、勝手につけました)

2022年6月12日 13:30~17:00
ZOOMで開催します。

さまざまな場所で出入り禁止にされてしまう障害者がいます。

その『出禁(出入り禁止)』から、見えてくることは少なくないのではないかと実行委員会では考えました。

・街のお店などでの出入り禁止。
・障害福祉サービスなどでの出入り禁止
・地域での暮らし(アパート)の退去を求められる
・居場所・フリースペースを巡る出入り禁止

それぞれの背景に何があるのか、どんな対応が望ましいのか、
そんなことを考えることで、見えてくるものは多いのではないかと思います。

申し込みの締めきりは9日。

日 時:2022年6月12日(日)13301700

講座終了後に交流会を行います。合わせてご参加ください

会 場:ZOOMによるオンライン上

内 容:「出入り禁止」の事例別に分かれてのグループワーク

①事例1:近隣の苦情を受け引っ越した知的当事者2人の事例

②事例2:福祉サービス利用を巡る契約解除など

③事例3:街中のお店からの出禁

④事例4:居場所・フリースペースを巡る出入り禁止

1部 (13351540

 各事例発表の後グループに分かれての話し合い

2部(15401645

 各グループで話し合われた事を巡っての全体討議

参加費:無料                                                    

申込方法

たこの木ブログにアクセス後フォーマットより

http://takonoki1987.seesaa.net/

申込締切 6月9日(木) 

  ※グループ分けを行うため期日までのお申し込みをお願いします     


 障害当事者に降りかかる「出入り禁止」という出来事。本人にとってつらい事だと思う一方で、その人自身が招いた事でもあります。とは言え、自己表現の結果の行動であると思う面と、その表現が受け入れられない辛さもあります。障害当事者に対する社会の偏見から生まれるものもあれば、懸命に受け止めようと努めるも、結果どうにもできなかったという事もあります。

 「支援の側の課題」と描き懸命に解決を求め取り組む人もいれば、他のお客さんや利用者を思うと解決に至らない事もあります。

どうしてよいか解らず、時に傷つくこともあります。「障害」の故に排除されることはあってはならないと思うも、たとえその人の行動がその人の障害から来る混乱であっても、起こる出来事には常に他者がいて、何とかしなければと思いつつなんともならない結果としての「出禁」があったりもします。

この企画を立てようとした当初は、街中にあるお店における「出入り禁止」を想定していましたが、「人と人との関係を断つ/断たざるを得ない」状況は、単にお店に限ったことでもないと考えました。そして、「出入り禁止」にされる側もする側も、それぞれに個別の状況があり、個別の想いがある中で、単に「出入り禁止を防ぐ」とか「事柄の対応」と言った切り口だけでは収まらない、様々な事が含まれていると感じました。

そこで、今回の講座では講師を立てず、各々が抱く経験や各々が描く想いと立場を異にする人の想い等を出しあい、何か答えを見出すというよりも、ともに悩みともに考える講座にしたいと願っています。

挙げた4つの事例は、「出禁」と言っても異なる状況があると考え、設定しました。 参加者一人一人の一番の関心を選んで、参加していただくことで話がより深まっていくであろうと考えています。

下記に、各事例の担当者から呼びかけ内容を書きに挙げました。申込みの際には、第1・第2希望を選択してお申し込みください。(各グループワーク最小遂行人数を設けてます。又、希望者が多い場合は一つの事例を分けて行います。概ね45名)

「地域で暮らし続ける」という点に立っても、当事者やその周囲の人たちが一人で解決できるものでも一人で抱え込めるものでもありません。では、どうするか?

結果、今回の講座は、全く答えの出ない回になるかもしれません。同じく思い悩む人たちとの出会いから何か得るものがあるかもしれません。

「暮らし続ける」「関わり続ける」ために、様々な立場からの参加を願っています。そして、ともに思い悩みつつその先を求めたいと願います。ぜひご参加ください。


《各事例担当者より》

事例1:理解のある住人が主でしたが「ヘルパーは大変な仕事だが週に1度。私たちは毎日」との言葉が印象に残ります。事例に関わらず、広く「ご近所トラブル」、NIMBY (施設は必要だが近所は困る)に関心のある方どうぞ。

事例2:継続就労支援とかグループホーム、あるいは家事援助や移動支援という福祉サービスに関して、本人が納得しない契約解除、あるいはそもそも契約できない事例、これらも出入り禁止。困っている人のための福祉がそれに対応できず、扱いやすい人を相手にしているなら、それは自らの存在理由の否定では?もちろん避けられない場合もあるでしょうが、そんなことをいっしょに考えましょう。

事例3:1番幅が広くバリエーションの多いゾーンです。最初から偏見を持っている人の場合、当事者がトラブルを起こすケース、同行者の対応がこじらせる等様々です。まずは各々の体験談を語り合ってみませんか。

事例4:昨今「セーファースペース」を掲げるお店が増えています。多様性が尊重される場だからこそ、様々な特性を持つ人が集うわけですが、その特性から「出禁」にされてしまう人が多いのも現実です。空間におけるセーフティとセキュリティについて、皆さんと意見交換できればと思います。

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2023年4月28日
タイトルに感想を追記と書いてあるのに、感想が書かれていないことにいま、気がついた。
もうほとんど覚えていないのだけど、ぼくは事例に2に運営側として参加。本人(および本人側)の納得がないまま、事業所を辞めさせる例がある。他人ごとではない。そして、放り出して、次の場所も準備していない。そのことにあまり呵責を感じていない。事例4にあるように、就労支援などの事業所も「セーファースペース」であるべきであり、そこで危険を感じさせないことが必要だろう。そして、そのようなことが理由で、辞めさせられる例はある。問題はそんなに単純ではないことも多いが、単に手がかかる人を支援しきれない支援側の力量不足のことも多い。そして、力量不足ということを認めない場合も。

 しかし、一度、引き受けた責任はあるはず。本人が納得できるまで説明をつくす義務はあるはず。それさえ放棄している場合もある。そして、どうしてもいっしょに活動できないときに、その人が次に行ける場所を探すくらいのことはあっていいという以上に、本人が拒否しない限り、そこまでは事業所が責任を持つべきではないか。そんなことを考えた。

以下、追記

アンケートの設問に「2.今回初めて、講師のいないグループワーク中心のプログラムとしました。イベント全体としていかがでしたか?時間配分や、事前の説明の過不足など。」というのがあり、そこに回答したので、それを追記
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追加で書くのですが「講師のいないグループワーク中心のプログラム」というのは、パウロフレイレのいう「対話型の教育」に近いものがあると思うのです。
多くの人には書くまでもないかもしれませんが、それの対概念「銀行型の教育」で、その意味は「教師から生徒へ知識を授け貯めさせていくという理解が一般的な理解です。(それでいいと思うのですが、正式には「生徒が金庫で教師が預金者である。教師は、交流 communicationのかわりにコミュニケ communiquesを発し、預金をする。生徒はそれを辛抱づよく受け入れ、暗記し、復唱する」だと書かれたものがあります。)
https://tu-ta.seesaa.net/article/201210article_1.html 
https://tu-ta.seesaa.net/article/201210article_6.html 
参照
読み返すと、言いたいことは、だいたい上記に書いてあり、今回の講座はそういう意味でも、よかったのではないかと思ったのでした。

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