『釜ヶ崎に、グランマ号上陸す』メモ
出版社ホームページ
http://www.tohoshuppan.co.jp/2022/05/s22-427-6.html
から
横浜生まれの不良少年が大阪・釜ヶ崎に流れ着くまでの波乱の人生を赤裸々に描く児童養護施設・日本水上学園での生活、タバコ、シンナー、窃盗。日本社会事業大学を出て身体障害者授産施設へ就職した後、キャバクラ業界に転身。アルコール依存、サラ金の多重債務、自己破産、結核。会社の金を持ち逃げして釡ヶ崎へ。逮捕されるも、起訴猶予で釈放。以後釡ヶ崎に根付く。宮本(通称・新井)信芳の人生遍歴は昭和から平成の、一つの社会・世相史でもある。
以下、読書メーターに書いたメモから
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古い知り合いの宮本さん、去年だったか35年ぶりくらいでフェイスブックで再会。本を出したというのを聞いて、読了。 こんな風に生きてきたのか、と思った。ここに書いていないいろんなこともあるのだとう思う。お互いに知らなかったが、共通の知り合いも。以下のコメント欄にはたくさんネタバレが含まれています。
釜ヶ崎に、グランマ号上陸す: チェ・ゲバラの最も出来の悪い弟子になるまで
この本にも書いてあるが、宮本さん、中野の東京コロニーで働いていて、その頃の知り合いだった。35年も前の話で、どんなつきあいだったか、まったく覚えていないのだけど、彼が風俗に身体障害の当事者を連れていく、いまでいうガイヘルのようなことをしているって話は覚えている、
35年くらい前、知り合いだった頃は彼のこと、ほとんど何も知らなかったのか、あるいはいま、忘れてるだけなのか? 覚えていない。赤いうさぎとかいう名前で第4インターの機関紙に投稿していたとか、書いてあった。その頃、ぼくもまだ読んでいたはず。その赤いうさぎが宮本さんだったということを、たぶん、ぼくは知らなかったのだと思う。ある意味、ジュネの泥棒日誌みたいな話でもある。
ここに出てくる、社会事業大学で宮本さんが出会った全盲の落合さんのこと、きっとどこかで会ったような気がするのだが、思い出せない。卒業後、都立の老人ホームで働いていたとのこと。その老人ホームの入居者で重度のCPのカズさんをソープランドに連れていく話がある。
宮本さんは留年した大学5年目に結核が発見され、福祉方面の就職が出来ず、当時、社会事業大学の事務局長だった板山賢治さんの紹介で、調べさんに話がいって就職できたとのこと。これも知らなかった。当時の共産党系の労働組合の委員長が宮本さんが加盟申請をすぐに認めなかったとのこと。この当時の雰囲気はなんとなく覚えている。ぼくが入る前の話だが、大田福祉工場の労働組合が法人本部にビラをまきに行って、拒否されたという話もあった。06/17 02:35
調べさんのこんな発言も紹介されている。「仕事をしている場合じゃない! 厚生省抗議行動に一人でも多くの所員、授産生を動員しろ!」(107p)。
これ、たぶん、障害者施設での「費用徴収反対運動」の時の話だと思う。この頃、ぼくも大田福祉工場の労働組合として、この運動にずっと参加していた。宮本さんがいた中野コロニーとの関係では、労働組合ではなく、授産生会の人との付き合いの印象しか残っていない。06/17 02:41
宮本さんが当時、いっしょに働いていた4人の車いすの青年を誘って、最初に組合加入を断った労働組合の委員長(その後、懇意になったらしい)といっしょに修善寺に行って、ストリップ小屋に障害者割をしてもらって行った話などがある。06/17 03:03
調べさんの後、所長になった伊波敏男さんの話も出てくる。調べさん亡き後、後継者に指名されたのが、このハンセン病の回復者である伊波さんとK元理事長の二人だった。その後、伊波さんは残念な形で東京コロニーを去ることになるのだが、それは、宮本さんが「アルコール依存」で飲み屋のつけを溜めて、退職せざるを得ない状況になった後の話なのだろう。ここでは書かれていない。伊波さんはその後、執筆活動で素敵な仕事を残されているjので、災い転じて、という感じがしないわけでもない。06/17 03:13
そう、ここに書き忘れていたのだが、宮本さんの学生時代の話で面白いのは、廃寮反対闘争の話。寮自治会が入寮停止の撤回を受け入れたことに反発し、彼がけん引する形の運動で、廃寮反対闘争は完全な募集停止を免れるという決着をしたらしい。時期はぼくの学生時代とかぶっているかもしれない 余談だが、彼が「赤いウサギ」というペンネームで第4インター日本支部の機関紙「世界革命」に投稿していたとのこと。当時、ぼくもここに関わっていたはずだが、このことを知らなかったと思う。06/17 03:25
東京コロニー(中野工場)を飲み屋の借金返済のためにいったん退職した宮本さんは、伊波さんの紹介もあり、同じ東京コロニーの葛飾福祉工場に再就職し、やり直しを図ったが、「アルコール依存」の度合いが増え、無断欠勤が重なり解雇されたとのこと。これも知らない話だった。 そして、喫茶店のアルバイトから、キャバクラのマネージャーに転身することになる。06/17 03:30
そのキャバクラで500万円以上のキャストと呼ばれる人たちの給料を持ち逃げし、名前を変えて、生活していたのが釜ヶ崎。刑事事件の時効を勘違いして、気が緩んだせいか、その頃、発覚して逮捕。 釜ヶ崎の知り合いが依頼してくれた弁護士の努力と、元同僚だったキャバクラの責任者の温情で、不起訴処分となって、借金の返済も終了したとのこと。その間、2015年、釜ヶ崎に居酒屋グランマ号を開店し、今に至る。グランマ号にはA3の印刷機もあるとのこと。一度訪ねてみたい。06/17 03:43
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