『排除の現象学』で排除について考えた(ほんの紹介51回目)
今回、紹介しようと思ったのが『排除の現象学』(赤坂憲雄著)。この本、最初に出たのが1986年、その後、改訂版が出来て、それが文庫化されたのが95年という古い本。著者の赤坂さんは福島県立博物館館長も務める大学教員で東北学の提唱者。ぼくは3・11とナウシカを重ねる言説で彼のことを意識した。参照 https://tu-ta.seesaa.net/article/201111article_3.html https://tu-ta.seesaa.net/article/201308article_1.html
前にここで紹介した『学ぶ、向きあう、生きる』という本 https://tu-ta.seesaa.net/article/202105article_4.html に引用されているのがこの本。1980年以降の学校でのイジメの背景に養護学校が義務化されて障害者が排除され、誰の目にも明らかな差異がなくなったからではないかという赤坂さんの説が掲載されている。その話は前に紹介したのでこれ以上は書かないが、この本の第1章に置かれている。ただ、本当にそうだったかどうかは70年代から80年代に教員だった人に聞きたいところ。
序章は『男はつらいよ』の話。映画では柴又は基本的に寅さんをやさしく受け入れる暖かいコミュニティとして描かれているが、その前提としてそのコミュニティが寅さんを排除していたのではないか、という指摘。
第4章は埼玉県比企郡鳩山町の国有地における成人自閉症者入所施設建設反対運動に関する記述。そのニュータウンの住民たちが反対して、ついに施設は作られなかった。ニュータウンのいびつな均質さが排除を生む構造について、書かれている。いま、赤坂さんがこのような入所施設の必要性についてどう考えているか、わからないが、80年代はともかく、いまはこんな入所施設を作るのではない重度の自閉症の人たちが暮らす方法を探す必要があると思うものの、こういう施設を拒否するのはなぜかという分析は興味深かった。鳩山ニュータウンの住民が「こういう施設が来なければ、こんなギクシャクした問題は起きなかった」と語ったというのを受けて、赤坂さんは以下のように書く。
じつは、それまで「ギクシャクした問題」は存在しなかったのではなく、巧妙に回避されてきたにすぎない。隣人がみずからと相似の人々であると信じられているかぎり、たがいの差異を深く凝視する必要もなく、ひたすら相互理解が届いているという幻想 のなかに憩いつづけることができる。生身の人間同士の関係であれば生じずにはかぬ 〝ギクシャクした問題〟(多様性・相剋性)は顕在化せぬままに、人々の意識の表層から抑圧される。いわば、これは人々が相互にもっとも効果的に隠匿しあう方法であるといってよい。現状へのかぎりない隷従と無関心、わたしたちはそこに典型的な心理的硬さの徴候をみとめる。
とはいえ、心理的な硬さとはたんに、個人の内面の性向をあらわすものではない。むしろ、ニュータウンというかぎりなく差異の排斥された均質空間そのものに埋めこまれた、排除の構造の硬直性をこそさしている。鳩山ニュータウンという、都会はるかな理想郷に 辿りついた家族たちにとって、差異の喪失だけが理想郷幻想のささえである。(204-205)
養護学校義務化とイジメの話もそうだが、差異が可視化できなくなったときに排除が生まれるのではないかという話でもある。
しかし、自分の経験で言うと、1970年代にもイジメはあった。大田区では知的障害の子どものための養護学校の建設反対運動もあった(らしい)。そして、現在も、普通級に通う障害児へのイジメの話も聞く。またイジメという関りを否定しない篠原睦治氏の言説があり、それを否定するホームページもある。イジメが良くないのは自明だが、まったく関わらない・関われないことと比較したとき、どうだろう。イジメが放置されることは許されないが、そこから関わりのきっかけを作ることは可能ではないか。障害者を排除してきた社会の価値観を子どもも身につける。そんな価値観をアンラーンして(引き剝がして)いけるような場を準備することも広い意味での教育の役割かも。そして、それは知識を授けるというような銀行型教育ではないだろう。
あらら、本の紹介から離れてしまった。そもそも『現象学』が何かっていうのがわかっていないことにいま気づいた。
~~原稿、ここまで~~
『排除の現象学』の読書メモは
『排除の現象学』(赤坂憲雄著)メモその1(1章まで)
2021-11-19 04:50
https://tu-ta.seesaa.net/article/202111article_2.html
『排除の現象学』(赤坂憲雄著)メモその2(2章~横浜浮浪者襲撃事件を読む~)
2021-12-02 08:05
https://tu-ta.seesaa.net/article/202112article_1.html
『排除の現象学』メモ3(「第4章 移植都市―鏡の部屋というユートピア」)
2022-05-21 06:05
https://tu-ta.seesaa.net/article/202205article_3.html
メモを書き終えていなかった
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