『脱「いい子」のソーシャルワーク』「第Ⅱ部 AOPの可能性」メモ(その2)
以下、「第Ⅱ部 AOPの可能性」メモ
「第Ⅱ部 AOPの可能性」
3(章)「私」から始める
3 入所施設でAOPは可能か(76-77p)
この小見出しの中で、日系人の高齢者の入所施設のことが紹介され、在宅だけではなく、「入所施設であっても「普通」の生活を支えることは、AOPの実践になりうると今は認識している」と書かれる。そういう面はなくはないと思うのだが、望んでいないのに、施設入所しか選択肢がないという場合が多いということをしっかり意識するのがAOPの核心ではないかと思う。いまだに、いい老人ホーム探しがスタンダードで、いい老人ホームを探せたらよかったと家族が喜ぶ日本社会。その人たちは、ほんとうに地域で暮らし続けたくなかったのか、なぜ、住み慣れた地域で暮らし続けることが出来なかったのか、そこに日本社会の構造的な問題があるということを指摘する声はあまりにも小さい。
4 ケアする人を支える仕組み(77p)
上記の小見出しの中で、労働組合の重要性が解かれている。日本社会の組合の衰退はいかんともしがたい感じもあるのだが、おそらく政策的に再生できる仕組みがなければ、このままなのだろう。やはり、労働組合がしっかりしていなければ働くものはなかなか守られない。労働組合の再生という課題、その困難を考えると、日本社会の閉塞感はいっそう深まっていくような気がする。
この【3(章)「私」から始める】の結語は
【ケアを中心とした社会をつくるために】
声を上げる者が排除されたり傷つけられたりする危険を伴う社会では、社会構造を問い直し、抑圧に抵抗する AOP の実践は容易ではない。AOPを実践する前に必要なのは、声をあげる勇気を持つために、人びとと連帯することであるかもしれない。(82p)
と書かれている。しかし、「声をあげる勇気を持つために、人びとと連帯すること」こそがAOPの実践なのだと思う。それは実践する前に必要なことではなくて。
そして、「誰もが生きやすい社会」とは競争と生産性至上主義の価値観を乗り越えた先にあるのではないか、それがケアを中心とした社会だという。そんな社会の価値観を実現することこそがAOPだとも言えるかもしれない。
【コラム3 被爆者・アクティビスト・ソーシャルワーカー、サーロー節子さん】
サーローさんはNYで行われた原爆の図の展覧会のオープニングにも来ていただいたというおぼろげな記憶。彼女がソーシャルワーカーでもあったということを知らなかった。このコラムの結語は以下
・・・。当事者やマイノリティのアライとして人と寄り添い、 勇気を出して小さなことから実行に移すこと。個人的な経験を社会的・政治的なこととして声をあげ、 制度や社会を変えていくこと。これからのソーシャルワーカーには、それが求められているのではないだろうか。85p
【4 ささやき声の共鳴から生まれる私たちのAOP─「しょうがない」の向こう側 (市川ヴィヴェカ)】
著者は2014年から3年間、某市で生活保護のワーカーの補助(補助というより、それこそがワーカーの仕事であるような)仕事を非正規の官製ワーキングプアとして担っていたという。そこでの差別待遇と、その問題に気付かない正規職員。彼らもまた構造の中で抑圧されており、その抑圧が非正規職員や対象者に転化していく現実。そんな中でひとり親として子どもを連れてのトロント大学への留学。AOPや多様性と公正な社会のための福祉実践の学び。著者はそれが日本でどのように実践できるだろうかと問う。
問いかけ・つながり・語り合い・変化を起こすことに対する前向きな勇気、それこそがソーシャルワークの土台であり、公正な社会は実現可能だと願ってやまない、とこの章の結語を書いた後で、付け足されている部分が好きだ。
・・・まとまりがなくても、解決策が見えなくても、たどたどしい言葉で、取り乱しながら、私たちの反抑圧的ソーシャルワークをこれからも語り合いたい。102
【コラム4 ささやき声のAOP、実際にやってみたら】
劇的な変化は起きなかったし、管理職には完全に黙殺されたし、「カナダに行って面倒くさくなったね」と距離ができた人もいるし、ストレスで蕁麻疹がでたりしたが、それでも聞いて共感し、応援してくれる仲間も少数だが増えた、やらなければよかったという話ではない、と著者は書く。
日本社会でAOPはなかなか受け入れられにくいのだということがしみじみわかるコラムだった。
「第Ⅱ部 AOPの可能性」メモ 、ここまで
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