『脱「いい子」のソーシャルワーク』メモ(その3)日本のソーシャルワーカー教育とAOP─社会福祉専門職教育に今こそAOPが必要な理由(茨木尚子)について

その1

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その2

https://tu-ta.seesaa.net/article/202208article_2.html

の続き


5章のみの読書メモ


第Ⅲ部 AOPと日本の現状

5 日本のソーシャルワーカー教育とAOP─社会福祉専門職教育に今こそAOPが必要な理由(茨木尚子)


この章の冒頭で、どうして日本ではソーシャルワーカーが国家資格なの? それで国や自治体にソーシャルアクションが起こせるのか、という問いが提出され、著者はその問いに共感する。


そして以下のように書かれる。

・・・21世紀に入り、次第に相談機関等を中心に社会福祉士の常勤の配置が促進されており、これからSWとしての社会的活動の幅も広がるのではないかという期待もあった。

 さて、国家資格化から30年以上経過し、現在の社会福祉士、精神保健福祉士は32万人を超えている。果たして、日本のSWは国家資格化することで社会的認知が進み、発言力を増し、行政に対してソーシャルアクションを展開する力量を獲得するようになったと胸を張って言えるだろうか。確かに、社会福祉現場では資格所持者が増えており、その専門職組織も、全国・地方でネットワークを広げてきている。しかし、そういった組織が国や地方自治体の社会福祉政策に対して、公的福祉の支援体制が揺らいでいることへ、専門職集団としての対抗措置を取ることができているだろうか。残念ながら、答えは No と言わざるを得ない。 

 むしろ、社会福祉士会等の専門職集団は、国の社会福祉制度改革の方針を先取りするかたちで、地域における自助・共助システムを構築することに主眼を置くコミュニティワークについて、これからのSWの主要な機能として強化すべきであるとし、積極的に国の求める方向性に沿ったソーシャルワーク を推進しようとしているようにみえる。またそれを受けて、SW養成教育機関は、その目的に沿った教育プログラムの開発に力を注いでいる。一方で、 国の制度改革における公助の後退、とりわけ公的扶助などの経済給付の削減問題や、介護保険の利用抑制の動向について、SW組織としての明確な態度表明や、それに抗う社会的運動は積極的に行われているとは言い難い状況にある。

 さらに言えば、格差からくる貧困問題や、障害のある人や家族等、マイノリティと言われる人々への社会の抑圧について、その構造をどう考え、対処していくべきかという議論は、必ずしもソーシャルワークの中心的テーマとして捉えられているとは言い難く、反抑圧的な活動に積極的に取り組む社会福祉士や精神保健福祉士は全体的には多いとは言えない。P 107

いろいろあって2022年7月東京で開催された日本社会福祉士会の大会に参加する直前にこれを読んだのだが。こんな風に著者の茨木尚子さんが明確に書いてくれたことを、そこに参加しても強く感じたのだった。社会福祉士の大会で、こんな話が出来る場所があればいいのにと思った。

ともあれ、この文章の後、日本における国家資格化の経緯が描かれ、2019年の制度改定においても、ソーシャルワークの機能とは何かについてのより深い議論と、そこからソーシャルワーク教育のありようが問われるべきであったのに、そうはならなかった、批判的検討が必要だと書かれている。113p

そして、大学入試の共通試験でさえ、選択式だけでは思考力が反映されないとされているのに、社会福祉士の試験が選択式だけでいいのか、それでソーシャルワーカーにふさわしい知識と思考が判断できるのか、国家資格のあり方そのものを含めて、積極的な問い直しと、改革に向けた議論が必要だと主張される。118p

この著者の主張に深く同意するのだが、そのような声はあまりにも小さく、現状に合わせたソーシャルワークとソーシャルワーク教育だけが広がっているのではないかと思う。

著者はここ数年、ソーシャルアクションが必要だという声が聞こえるようになってきた、その声が改革に結びつくように期待したい。そして、ソーシャルアクションが矮小化されず、社会公正の実現につながるソーシャルアクションの学びが実現されなければならない(119-121p)、とも書いているが、その希望が実現する道筋は見えてこない。

そして、この章は以下のように締めくくられる。

 カナダでは、21世紀のソーシャルワーク教育の基盤として、AOPを導入した。さらに先住民族への同化政策に基づく過去のソーシャルワークのあり方を反省し、その歴史的トラウマを視野に入れた教育プログラムを構築している。日本においても、これまでの社会福祉実践を振り返り、ソーシャル の内容に変革を起こす必要を強く感じる。特に本来のソーシャルの目的である「社会的公正の実現」に向けて、過去から現在に至る日本の社会構造を分析し、社会福祉実践が果たしてきた役割を(負の側面も含めて) 学んでいく教育内容も必要ではないのかと考えている。

 例えば旧優生保護法において、社会福祉実践者はどのようなスタンスで障害者の強制不妊手術について考えてきたのか、または考えてこなかったのかといった問題についても真摯にその歴史を振り返り、そこからソーシャルワークのあるべき姿を議論することも必要なのではないだろうか。またSW それを目指す学生たちが、抑圧構造における自らの位置づけに自覚的であ ることも、多様化する社会における支援者として重要と思う。そのためにも、 性的指向性、家族、民族、文化等、多様な社会の抑圧構造を具体的に学ぶた めの教育プログラムの必要性も強く感じる。既存の福祉領域を越えて、多様な抑圧に対抗する運動についてより理解を深め、その運動から学ぶことも必 要となるだろう。SWの国際基準をもとにした日本のこれからのソーシャルワーク教育を考えるうえで、まずは社会の抑圧構造に焦点を当て、その抑圧に対抗する実践を学ぶAOPを日本の社会福祉教育の基盤に据えて、その教育のあり方を現場から変えていく必要性を今強く感じる。 121p

ここもその通りだと思う。5年前くらい前にいろいろあって、こんな資格に意味があるのかと思っていた資格を取り、その通信教育を受けたりしたのだが、つまらない人名などの知識の詰め込みが多くて、ほんとうにうんざりしたし、大切なさまざまな権利や、それが生まれた背景、社会的な公正がなぜ、必要とされるのか、それを実現するためにソーシャルワーカーに問われているのはどのようなことか、などに関しては、かする程度にしか教えられなかったと思う。

前にも書いたが、著者の茨木さんの主張には共感し、その通りだと思うものの、それでは、そこに向けた改革がどのように可能で、どのようなロードマップが描けるかと考えると、絶望的な感じさえする。

そのあたりについては、この著者の茨木さんが書いている、7章の『障害者当事者運動に見るAOP』に少しだけ触れられているが、そこに書かれているのは、あきらめずに主張を続けるというような話だ。確かに、そうするしかないのだけど、もう少しなんとかならないのかと思う。

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