『脱「いい子」のソーシャルワーク』メモ(その4)精神障害と抑圧・反抑圧(竹端寛)について
その1
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その2
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その3
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の続き
6 精神障害と抑圧・反抑圧 (竹端 寛)
この章の著者の竹端さんは、ここでAOPというイニシャルを使っていない。日本語で「反抑圧実践」と表記する。
精神障害に関するバザーリアの考え方やオープンダイアローグの思想を紹介し、そこに共通するのは「狂ってる人」を「狂っていない人」が治すというアプローチではない、という点だと書く。134p
With-nessに基づく反抑圧実践という節で
「実際に支援現場でどうすればいい」という問いに一言で以下のように応える。
「狂ってる人は理解不可能だ」とか「あの人は狂っている/狂っていない」という二項対立的な考え方を手放すこと。これに尽きる。137p
そして、この節の結論として、以下のように書く。
With-ness とは抽象論ではない。精神疾患で苦しむ人の生きる苦悩の最大化した状態をしっかり理解したうえで、その苦悩の最大化を減らすための「文殊の知恵」を生み出すチーム形成をすることができるかどうか、である。そのためは、まず「あの人は狂っている」「狂っている人は理解可能だ」という予断を、横に置く必要がある。ある人に襲いかかっている生きる苦悩を最小化するために、その人やその人が大切だと思う人々、そして支援チームが協働して解決策を考えられるようなチーム形成をどうしていくかが問われている。それは、アセスメントのあり方や支援プランの作成、実際の介入、実践のあり方を変えていく。地域のなかで、精神的な危機にある人に、このような with-ness に基づく支援が行われていれば、「地域で困った人を精神病院に入れて解決したことにする」という「エリー湖の狂気」は生まれない。 むしろ、地域で支援する人々こそが、with-ness 的な対話的アプローチを身につけ、生きる苦悩を最大化した人の権利擁護実践をすると、狂気を自らの認識の外側(=精神病院)に捨てるような現状を変えることが、具体的に可能になるのではないだろうか。138~139p
「社会的抑圧を問い直す——自由こそ治療だ」
というのがこの章の最後の節のタイトル。
精神病院を温存しないというあり方がここで問われる。著者の竹端さんはこんな風に書く。
先に触れたフランコ・バザーリアは「自由こそ治療だ」と喝破した。抑圧は自由と真逆の事態であり、ゆえに非治療的である。そして、精神疾患の治療をするうえで不可欠な自由を模索する、ということは、単に精神病院の構造上の問題ではない。精神病院を…認識の捨て場としている限り、私たちは認識論上の不自由に追いやられたままであり、精神病院の温存に結果的に加担していることにもなる。そうではなくて、矛盾の産物としての精神疾患を、医学問題に矮小化させず、 この社会の構造的な歪みと捉え直すことによって、抑圧から解放され、自由を保障することが可能となる。
(中略)
精神病院という認識の「捨て場所」を温存しないためには、私たち自身が 「あなたは狂っている/私は狂っていない」と二項対立で考える癖をまず止める必要がある。「狂っている人は理解不可能だ」という予断、つまり私の これまでの認識そのものが狂っている (the Pathologies of epistemology)ことを、 まずは認める必要がある。そのうえで、精神障害の状態にある人との関係性をどのように変えていくことができるか、どのような協同的実践 (with-ness)を生み出すことができるのかを模索する。それが精神医療 実践に直結する。精神病院や精神障害者への恐れは、己の無知や偏見に基づく恐怖である。精神病院自体が抑圧的な環境を持ち、精神障害者がその状況で抑圧されてているため、この抑圧構造は再生産され続けてきた。その悪循環を超えるためには、まず構造的抑圧を自覚化する必要がある。そのうえで、生きる苦悩が最大化した当事者の声に耳を傾け、この構造的抑圧を超えて人間らしく暮らせるための方法論を、「あなたは狂っている/私は狂っていない」という二項対立を超えて、一緒に考え合うことが大切だ。それが「自由こそ治療だ」の 真の意味であると私は考えている。139-140p(強調引用者)
認識を変えること、そして、構造的抑圧に自覚的になること、その抑圧を超えて人間らしく暮らすための方法論の必要が語られる。そこはもちろん、その通りだと思う。そして、さらにその方法論とともに、その構造的抑圧を変えるため社会運動やソーシャルアクションが必要であり、そこに参加していくことも問われているのだと思う。
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