AOP(反抑圧実践)が必要な理由『脱「いい子」のソーシャルワーク』その2(ほんの紹介54回目)

たこの木通信、2022年8月に掲載してもらった原稿。
https://tu-ta.seesaa.net/article/202209article_2.html の続き



AOP(反抑圧実践)が必要な理由『脱「いい子」のソーシャルワーク』その2(ほんの紹介54回目)

前回に引き続き『脱「いい子」のソーシャルワーク』2021年、現代書館)を題材に、その『5 日本のソーシャルワーカー教育とAOP─社会福祉専門職教育に今こそAOPが必要な理由(茨木尚子)』を紹介する。著者は日本の社会福祉士や精神保健福祉士の現状について、以下のように描く。

 さて、国家資格化から30年以上経過し、現在の社会福祉士、精神保健福祉士は32万人を超えている。果たして、日本のSWは国家資格化することで社会的認知が進み、発言力を増し、行政に対してソーシャルアクションを展開する力量を獲得するようになったと胸を張って言えるだろうか。確かに、社会福祉現場では資格所持者が増えており、その専門職組織も、全国・地方でネットワークを広げてきている。しかし、そういった組織が国や地方自治体の社会福祉政策に対して、公的福祉の支援体制が揺らいでいることへ、専門職集団としての対抗措置を取ることができているだろうか。残念ながら、答えは No と言わざるを得ない。

 むしろ、社会福祉士会等の専門職集団は、国の社会福祉制度改革の方針を先取りするかたちで、地域における自助・共助システムを構築することに主眼を置くコミュニティワークについて、これからのSWの主要な機能として強化すべきであるとし、積極的に国の求める方向性に沿ったソーシャルワーク を推進しようとしているようにみえる。またそれを受けて、SW養成教育機関は、その目的に沿った教育プログラムの開発に力を注いでいる。一方で、 国の制度改革における公助の後退、とりわけ公的扶助などの経済給付の削減問題や、介護保険の利用抑制の動向について、SW組織としての明確な態度表明や、それに抗う社会的運動は積極的に行われているとは言い難い状況にある。

 さらに言えば、格差からくる貧困問題や、障害のある人や家族等、マイノリティと言われる人々への社会の抑圧について、その構造をどう考え、対処していくべきかという議論は、必ずしもソーシャルワークの中心的テーマとして捉えられているとは言い難く、反抑圧的な活動に積極的に取り組む社会福祉士や精神保健福祉士は全体的には多いとは言えない。(107頁)(強調部分引用者)

多くの日本の「ソーシャルワーカー」(この章ではSWと略されている。あたりまえだけど、ここではセックスワーカーの略ではない)と呼ばれるような職種の人たちは、多くの問題を抱える現状の制度の枠の中だけで、対象者の支援を考え、その抑圧的な状況を変化させるということに関心を寄せていない。ソーシャルアクションが必要という認識は徐々に広がってはいるが、社会福祉に関わるどれだけの人がその実践を行っているだろう。また、支援現場までの移動時間さえ タダ働きさせられることがヘルパーやフルに働いても事務所経費などを差し引いたら、十分なお金を得ることができない相談支援など、劣悪な労働環境があり、社会福祉にかかわる人がソーシャルアクションに関わりたくても関われない現状もある。そして、社会福祉専門職教育は国家資格の取得に力点が置かれ、現状の社会の抑圧的な状況があることに目を向けるようにはなっていない。さらに、そもそも物事をクリティカルに(この言葉、適当な訳語がないので、とりあえず批判的という日本語を当てておくが、それはもう少し広い意味でとらえられるべきだろう)見ていくという訓練が日本社会で行われていないという問題もある。

このような現状があるからこそ、

SWの国際基準をもとにした日本のこれからのソーシャルワーク教育を考えるうえで、まずは社会の抑圧構造に焦点を当て、その抑圧に対抗する実践を学ぶAOPを日本の社会福祉教育の基盤に据えて、その教育のあり方を現場から変えていく必要性を今強く感じる。121頁)

というこの著者の主張は、すごくまっとうなものだと思える。そして、大きな課題は、そのように現場から変えるというときに、どのようにそれが実現できるか、という話であるはず。著者が主張するように、障害者当事者運動に学び、【焦らず、腐らず、声をあげ続ける】という姿勢は必要だろうが、それだけでは不十分だろう。どうすれば、その声は有効に政策に影響をあたえることができるかなど、もっと検討されるべきだ。

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