『障害者ってだれのこと?』かな (ほんの紹介56回目)
紹介するのは『障害者ってだれのこと?』荒井裕樹さん著。サブタイトルは『「わからない」からはじめよう』。図書館の陳列棚にあったのを見て思わず借りた。後で「中学生の質問箱」というシリーズだということを知る。しかし、この本、中学生用だとなめてはいけない。「障害」に関して、こんなにしっかりと考える材料を提供していて、同時にそれを中学生にもわかる語彙で書かれた本をぼくは知らない。このタイトルの「だれのこと?」という疑問に以下のように応えている
「ふつう本というのは、「読んだらなにかがわかるようになる」ものです。でも、この本は「読んだらますますわからなくなる」ことを目指しています。・・・「わかる」より「考える」ことの方が大事だと思うのです。
・・・
障害とは何かとか、障害者とはだれのことかについて、はっきりくっきりわかるような説明はしません。というより、できません。むしろ、こうした問題ははっきりくっきり分けられないということをお話ししようと思います。
・・・
・・・差別というのは「考えつづける」ことが大事だからです。わかりやすい解決策や答えというのは、これ以上悩んだり考えたりしなくてすむように欲しくなるものですよね。でも、差別は考えつづけることが大事なんです。
中学生にも読んで欲しいが、大人に読んで欲しい本。
障害の社会モデルの説明でよく使われる駅と階段の話だが、以下のように書かれている。
駅に階段しかないことだけじゃなくて、階段しかないことで困っている人がいるのにそれをたいしたことないと考える価値観が差別 48頁
と書かれている。 この記述は『「社会」を扱う新たなモード』で書かれている話と重なる。その本での、社会モデル理解は以下。
「社会モデル」と3つの「社会」
① 障害者が直⾯する困難の原因は、社会の作られ⽅にある
障害の発⽣メカニズムにおける「社会」② 障害者が直⾯する困難は、社会的に解消できる
障害の解消⼿段における「社会」③ 障害者が直⾯する困難を解消するのは社会の責務だ
障害の解消責任における「社会」近年流布している『社会モデル』理解においては、②や③の位相の『社会性』のみが着⽬され、①の視点がほぼ無視される傾向
①の不徹底、②③の強調
「社会モデル」においては、①こそが重要。①を⽋いた「社会モデ ル」は不⼗分で危険 (著者・飯野由里子さんのパワポから)
具体的に、どういうことかと言えば、例えば、駅にエレベータがないという話が社会モデルの話として使われるし、ぼくも使ってきた。それは②社会がエレベータを設置すれば障害が解消され ③そのエレベータを設置するのは社会の責任 という話だ。 しかし、①それまでエレベータを設置しなかった社会の問題は、そこではなかなか問われない。そのメカニズムが問われなければならない、という話だ。それをこの中学生の質問箱では価値観の話としてわかりやすく書いている。
最後の章のタイトルは 「差別のない社会は可能か?」 「差別のない社会を目指す」ということに著者は反対しないし、それが実現すれば、そんなにすばらしいことはない、と書く。しかし、その前にこの章の冒頭の小見出しとして太字で書かれているフレーズがある。それが「差別のない社会」より「差別があったら怒れる社会」というもの。
気になったのは共生を前提とする「怒り」は大切だが、相手の存在を否定する「憎悪」はダメで、それを切り分けることが必要だという話。この切り分けは意識してもけっこう難しいと思う。他にも紹介したい話はあるが、紙幅が尽きた。もう少し詳しい読書メモもブログに残している。
~~原稿ココまで~~
『障害者ってだれのこと?』メモ
https://tu-ta.seesaa.net/article/492594731.html
この記事へのコメント