障害者の就労支援について(まちづくり名人・達人サミット in おおた分科会での発表原稿)

まちづくり名人・達人サミット in おおた

https://ota-summit.roukyou.gr.jp/

 分科会

A ダイバーシティ(多様性):誰もとともに
 A-2)「障がい者と仕事、女性や若者と仕事」
https://ota-summit.roukyou.gr.jp/%e3%80%902%e6%97%a5%e7%9b%ae%e3%80%91%e3%83%97%e3%83%ad%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%a0/

での報告の発表原稿(8分の予定だったが、終わらなかった)

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障害者の就労支援について


項目

はじめに
「働く」とは何かに関する極私的解釈
現状の障害者就労
福祉的就労とは
大田区の福祉的就労の特徴
大田福祉工場のこと
「誰ひとり、取り残さない」ということ



はじめに

ぼくが、ここで障害者の「害」の字を漢字にするのは障害はからだやこころの側ではなく、社会の側にあるという考え方から。


まず、自己紹介。

資料の**頁(最後に掲載)

このように、いろんなことに手を出すのはADHD傾向の強さ。



「働く」とは何かに関する極私的解釈

ツルタの個人的な「働く」についての考え方。

一人ひとりの多様な「働き方」がある。


極端な例だが、

ALSという難病。
だんだん、身体が動かなくなり、言葉も出せなくなり、表情も動かせなくなり、最後は呼吸をつかさどる筋肉も動かなくなる。

以前は、数年で死に至ると言われていたが、人工呼吸器の使用で生存が可能になっている。


そのALSの人。

悪くなると、トータリーロックトインとかロックトインステイトと言われる状態


外の人と、交信する方法がなくなる。いまは脳波を読み取る技術も開発されつつある。


ともあれ、そういう状態の人が、生き続けることが、周りの人を励ますことがある。

その「生き続けること」も「働く」と考えていいのではないか。


そのように、「生き続けること」が「働く」と同義の人から、人並み以上にバリバリ働く人まで、

「働く」はグラデーションで続いていて、1日とか、1週間に1時間働くのが精一杯の人もいて、そういう「働き方」の準備も重要。

参照:「生きていることの肯定」

https://tu-ta.seesaa.net/article/200811article_16.html



現状の障害者就労

現状の制度は大きく

一般就労・福祉的就労のふたつに限定されている。


一般就労のなかに、障害者枠での雇用も。

一般就労は、すごくおおざっぱに言って、雇用率制度と密着した関係がある。


今日、話があるソーシャルファームはどちらでもあり、どちらでもない と言えるかも? いろいろ考えることが出来そう。



福祉的就労とは
「体調や心の状態に合わせて、福祉サービス事業所で支援サービスを受けながら就労する働き方のこと」
リタリコの「お役立ち仕事コラム」 https://works.litalico.jp/column/system/041/ から

ほぼ、この定義で間違いないだろうが、「体調や心の状態に合わせて」いないのに福祉的就労と名乗ってるところは少なくないかも。合わせていないというのは過剰も過少も。どちらかと言えば、過少が多い印象。

というわけで、定義としては「福祉サービス事業所で支援サービスを受けながら就労する働き方」だけでいいと思う。

上述のリタリコのサイトには「主に」として
就労継続支援A型
就労継続支援B型
地域活動支援センター

の3つが挙げられているが、他に生活介護というデイケアを中心とする日中事業所もある。ここに通所している人の意識は「働いている」ということである場合が多いし、そこを働く場所と本人が認識しているということを尊重したい。

いちばん多いのは「就労継続支援B型」、以前、作業所とか授産施設とか呼ばれていた事業所の多くがこのB型に。

ちなみにA型は労働法適用の就労でもあり、事業所によって大きな幅がある。(大田福祉工場の説明で後述)

また、就労移行支援で実際に仕事をしながら、一般就労をめざしている事業所もある。


ソーシャルファームはどちらでもあり、どちらでもない?



大田区の福祉的就労の特徴

他の地域より早く、80年代から授産施設からの一般就労が意識されていた。

始まりは大田区立大田福祉作業所らしい。そこの職員の呼びかけで、ネットワークが形成され、その後、大田区主催の就労支援担当者会議として、定着。大田区には2012年まで就労移行支援の事業所がなく、それまではB型からの就労が主流で、ここでの会議と就労支援センターがそれを下支えしていた。特徴としての授産施設やB型からの就労への積極的取組

大田区の就労支援センターはさぽーとぴあ(大田区障がい者総合サポートセンター)が出来て、しばらくの間まで、大田福祉作業所でそのネットワークを形成した人たちが中心で担っていた。その流れの中で、就労移行支援事業所のネットワークも形成。それぞれが利用者を集めるライバルでもある就労移行支援事業所のネットワークが機能している地域は少ないのではないかと思う。

大田区生産活動支援施設連絡会(おおむすび連絡会)は上記のネットワークとは別物だが、その伝統の上にあるのではないか。ここについてはすぐあとで話してもらう、


大田福祉工場のこと

2011年度まで、福祉工場という仕組みがあり(2006年施行の自立支援法が出来て、制度としてはなくなったが、経過措置として、2011年度まで存在していた)、障害がある人、ない人、同じ従業員として働いていた。それは実質的に【「ともに働く」場所】だった。

2012年3月で、経過措置が終了し、自立支援法(現・総合支援法)体系に移行。

自立支援法には「ともに働く」モデルがなく(総合支援法にもない)、福祉工場部門は就労継続支援A型を選ばざるを得なくなった。

形や紙の上で、支援する側・される側という形式にならざるを得なくなった。


「ともに働く」という理念を残したいという思いと制度の間での桎梏。

「ともに働く」を無理やり制度に当てはめる形


ちなみに大田福祉工場のA型「利用」の人の平均年収は350万円

2012年4月に、大田福祉工場にディーセントな就労を目指す人のためのB型と就労移行支援を併設。

「ともに働く」という理念のもと、だが、雇用であるA型や雇用契約で働くスタッフとB型・就労移行利用の人の立場の否定的な違いに自覚的であるべきだと思う。


そこで、注目されるのが、今日、紹介の、いろんな重さを抱えた人がともに働くソーシャルファームという形。それに関する私見は大田福祉工場のリレーコラムに書いた。

#9「福祉工場制度から就労継続A型への転換、そしてソーシャルファームについて」
https://ootafukushikojo.org/?column=%e7%a6%8f%e7%a5%89%e5%b7%a5%e5%a0%b4%e3%81%a7%e5%83%8d%e3%81%8f%e3%81%a8%e3%81%84%e3%81%86%e3%81%93%e3%81%a8%e3%80%82%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%81%8c%ef%bc%8f%e9%9a%9c%e5%ae%b3%e8%80%85%e3%81%a8-9


「誰ひとり、取り残さない」ということ。

SDGsにおいて、二つの大切なコンセプトとされているのが、

1、 誰ひとり取り残さない。

2、 トランスフォーム。(仕組みを根本的に変える、というような意味)

社会から取り残されがちな障害者。その障害者をはじめとして、さまざまな困難を抱える人を取り残さない社会が求められている(障害者に関する制度はその他の困難に比べて充実しているという声もある)。そういう意味では障害にかかわらない、困難を抱えるすべての人を取り残さないような制度設計が求められている。



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パンフレットに掲載してもらった自己紹介原稿


自身のプロフィール(現在の生業を中心に)
現在、上記の職場で働いています。福祉工場の事を説明すると、長くなるのですが、かつては、障害のある人ない人がともに働く印刷工場でした。それがいろいろあって、就労支援を始めることになり、その現場を立ち上げて10年になります。いまはその現場は若い人が担っています。また、プライベートではさまざまな社会的な課題に取り組んでいます。現在、かかわっているのは、①原爆の図丸木美術館、②知的障害者の自立生活のキャンペーン、③大田区の高次脳機能障害支援、④平和島地域の野宿者支援、⑤外国につながりのある高校生の支援、⑥トラブルに巻き込まれた障害者支援、そして⑦北区で「しげんカフェ」というソーシャルファームも運営している「わくわくかん」などです。


自身の生業の概要

大田福祉工場でのいまの仕事は、印刷物の配送がメインですが、他に大田区で生産活動をしている障害者事業所での仕事の共同受注や、その連絡会のホームページの管理を仕事にしています。共同受注は作業依頼を受けて、区内の事業所にメールを流し、受注を調整したりする仕事です。詳しい話は団体紹介に書きます。

以下は生業以外の仕事です。

①丸木美術館はかつて大田区に住んでいた友人が埼玉の田舎に引っ越したことをきっかけに関わり始め事務局長を勤めていました。その友人が亡くなった後、現在は私が代表理事になってしまいました。アートと社会運動のダイナミックで微妙なつながりを痛感させられています。 ②いまだに多くの知的障害者が住み慣れた地域を離れて収容施設で暮らすことを余儀なくされています。彼らが暮らすための制度はすでにあるのですが、地域資源などの関係で使えている人はごくわずかです。地域で暮らし続ける事ができるということをまず、知って欲しいと思っています。③福祉工場で高次脳機能障害を知って関りはじめました。人材不足もあり大田区高次脳機能障害支援者ネットの代表をやっています。④コロナ禍で関り始めた平和島での野宿者支援、もう3年になろうとしています。⑤TEAM-Net(多文化共生教育ネットワーク東京)に関わっています。⑥おおたTS(トラブルシューター)というグループでゆるくつながっています。法に触れてしまった・あるいは触れそうな障害者に関する活動です。⑦わくわくかんという北区で精神障害者の支援を行っているNPOの監事として、運営に少し意見したりしています。

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