ケーキを3等分出来ないことの問題(ほんの紹介61回目)

たこの木通信2023年3月号に投稿した原稿。

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ケーキを3等分出来ないことの問題
(ほんの紹介61回目)

 『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治著)。この本、去年の秋に読んだ。出版されてから5年くらいは経っているかなぁと思いつつ、出版年を確認したら、2019年の12月で、2020年のベストセラー。すでに70万部売れたとのこと。このテーマでそんなに売れるのかと驚く。タイトルに惹かれて買って、「あれっ?」と思った人もいるかもしれないが。
 著者は少年院で働き、罪を犯した「非行少年」(この呼び方は嫌いだけど)たちと出会う中で「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づいたという。その子たちは認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来なかったというのが、この本のタイトルの由来。
その認知力が問題で、反省を求められて、わかったような顔はするものの、話を理解しておらず、犯罪を繰り返してしまうというような話だ。以下は出版社のサイトでの紹介から。
 問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開
 ここに書かれているように、この本で描かれている対象は「境界知能」と呼ばれる知的障害ボーダーあたりの子どもたち。認知などに凸凹がある子どもたちも含まれるだろう。
 それらの子どもたちは、自ら犯してしまった犯罪を反省するために必要な認知の力が足りていないので、その力をつけていく練習が必要とされるという話で、その練習の方法なども紹介されている。そういう課題がある子どもは少なくなく、ここで紹介されているような練習の必要はあると思うし、そういう意味では大切な指摘でもあるとも思う。
 そのことを前提に、「しかし、違う部分もあるのではないか」という話を書く。
 それらの子どもの多くは、学校ではその問題を放置されてきたという話であり、そのようにも書かれていた。以下の話は詳しく書かれてはいなかったが、そこから想像できるのは、地域の普通級の教員が雑務や担当するには多すぎる生徒に追われ、忙しすぎて、課題のある生徒に向き合う時間がないことが多いという現状。普通の教員であれば、それらの子どもが課題を抱えていることには気づいていたと思う。しかし、多くの教員はそこに対応できる時間を持たされていないのではないか。そのような状況が、子どもたちを支援校や支援級にと促すことにすながっているのではないか。この本では「特別支援教育につながっていたら、彼も少年院に来ていなかったし、被害者も作らなかった可能性もあった」(95-95p)と書かれているが、そうではなくインクルーシブに、一人ひとりの子どもを見ていける教育があれば、犯罪を起こさなかったという風に考えるのが妥当だとぼくは思う。対応の難しい子は「支援校に」と追いやってしまうような教育のありかた自体に問題の根があるはず。しかし、この本では、そのようには書かれていない。そんな感想をSNSに書いたら、この本の続きの本も出ているので、読むことを勧められたが読んでいない。
 また、前にここでも紹介した『反省させると犯罪者になります』という本に言及し。このケーキ本ではその本に関して「反省できるだけでも上等」と少し否定的に書かれているが、そこに書かれていたのは、最初に反省を求めるから本当の反省が出来ないという話なのでズレてると感じた。
 さらに、著者は自尊感情が低くても、ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要だと書くのだが、その「ありのままの現実の自分を受け入れていく強さ」を自尊感情と呼ぶことができないだろうか? また、彼や彼女を取り巻くコミュニティとの関係で自尊感情は育つはずだし、それは大事なことなんじゃないかと思うのだがそんな記述は読み取れなかった。
 ケーキを三等分に切れなくても、人を傷つけてはいけないことを知っている子どもは多い。それらの子どもは、どのようにその認識を持ったのだろう。認知力以外の大切さがもあると思うのだが…。



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