『地域衰退』(岩波新書)メモ

最初に読書メーターに書いたメモ

2023/04/30に開催されたPP研の「経済・財政を読む会」のテキスト。農業や林業、あるいは町村合併などにみられる大規模化が効率的であるという主張が正しくないことが多いというのは説得力があった。シューマッハを引用して【「規模の経済」ではなく、「範囲の経済」を考えて、地域の仕組 みを組み立てていかなければならない】という。

著者の宮崎雅人さんは1978年生まれ。ぼくが大学に入学した年。金子勝さんの弟子筋だとか。岩波書店のサイトは https://www.iwanami.co.jp/book/b553688.html

発行は2021年1月


以下、付箋にそってメモ。


求人倍率が高くなってるのは、労働人口が減少しているからと著者。

・・人口減少が「景気が良い」ように見せかける数字を作り出しているだけだったといえる。8頁


 空き家問題は、資源の過少利用の問題として捉えることができ、森林資源の放置や耕作放置地の問題と根っこは同じであるといえる。今後、我々は資源の過少利用から生じる様々な問題に対処していかなければならない。24頁

空き家、耕作放棄地、荒れた森林、資源の過少利用の問題として他になにがあるだろう?

公共資源・インフラも過少利用になっていく可能性がありそう。

気になったのは、1980年代の段階で社会保障給付が公共事業を追い抜いて、公的支出の最大部門を占めている(85頁)、という話。現在、その比率はどのくらいなのだろう。調べれば推移もでてくるんだろうけど・・。

また、これに続いて、以下のような記述もある。

 ここまで論じてきた内容を踏まえれば、地域が衰退する理由は明らかである。すなわち、地域外へ生産物を移出し、地域外から所得を得る基盤産業が衰退した地域は、衰退することが避けられないのである。こうした地域から多くの人々が、一九七〇年代頃までは製造業で、その後は第三次産業で働くために出て行った。人口が減少すれば、かつては地域で成り立っていた、小売業や個人向けサービス業も衰退し、地域衰退に拍車をかけることになる。このような過程の中で、高齢化率も一層高まっていく。

 他方で、高齢化率が高まっていくのにともなって、社会保障給付が、医療・介護を中心とした産業構造を地域に作り出すことになる。しかし、特に規模の小さい市町村では、これらの産業は、地域外から所得を得る基盤産業になることはなく、地域内の高齢者の需要で成り立つ非基盤産業となる。(89頁)

 社会保障給付で成立する医療や介護の産業は基盤産業にはなり得ないとここでは書かれる。基盤産業という意味ではそうなのかもしれない。しかし、基盤産業なしで地域循環を中心にした地域の存立は不可能なのか、という話でもある。衰退は必至だとしても、いい衰退と悪い衰退があるという考え方もとれるかもしれない。ましな衰退の方法を探すという考え方もあるかも。少し古い本だが、吉田太郎さんの『「没落先進国」キューバを日本が手本にしたいわけは参考になりそう。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784806713906

 同時に基幹産業にはならなくても、ヘルパーがまったく足りない現状で、必要なヘルパーの雇用を増やし、そのためにもヘルパーにもっとディーセントな賃金が支払われる必要がある。それらは地域経済の活性化に役立つはずだと思うが、そこで得られる税収で社会保障費がまかなえるかといえば、そこに微妙な課題が残るかもしれない。そのことをどう考えたらいいか、どなたか教えていただければ幸い。

よくわからないのだが、富裕層や高い利潤を上げている企業からの税金を、ケアのために使い、

・必要なときにヘルパーを使えるように、ヘルパーの増員に取組み、そのためにヘルパーにディーセントな賃金を支払えるようにしたり、

・生活保護へのスティグマをなくして、もっと受けやすくしたり、

・有機栽培を行う農地の環境への好影響も勘案して農家に欧州並みの補助金制度を導入したり、有機野菜を給食に使ったり、

・教育にもっとお金をかけて、教員を増やして、クラス定員を減らしたり、給食だけでなく、すべての教材などの費用や、遠足・修学旅行にかかる費用を無償化したり、

 そんな風にすれば、地域にもっと潤沢にお金が回っていくようになるはず。ケアが地域を一定程度活性化させる効果はありそう。しかし、そのように外からの資金をあてにする社会保障がどれだけ持続可能かということの問題も考える必要がある。

また、91~92頁の以下の記述も重要だと思った。

 基幹産業がなくなり、若年層が地域外に流出し、少子化が進展するにともなって、小学校の統合が進められることになる。 小学校がなくなってしまうと、校区の住民の活動場所や交流拠点という地域拠点機能がその地域から失われる。また、小学校は校区内の子ども集めるという特性によって子どもの存在を強く感じさせる場所、若年層の存在を示す場所として機能している。こうした機能をもつ小学校がなくなるということは、その校区から若年層がいなくなり、地区の持続や再生産が困難であることを可視化することに なる。小学校は校区の「将来性」の象徴として機能しており、それがなくなることで、校区や 地域全体への諦めがさらに強まる可能性がある(長尾二〇一八)。

 こうしたことから、公共サービス業の中でも医療や教育が成り立ちにくくなるほど人口減少 が進んだ状態は、地域衰退が止まらなくなる「臨界点」であるといえるであろう。かつて農林業や鉱業で栄えた地域には、現在、「臨界点」に達したところが多いと思われる。

このようになる手前で止める、「持続可能な衰退」の形が求められているのではないかと思った。

103頁から記載されている、「大規模化でコストは削減できるのか」というのも「確かに」と思った。一人の農業従事者で耕せる規模は限られている(104p)。そして、ぎりぎりで増やそうと思えば、長い期間効果があるような強力な農薬の投入が前提となる(菅野芳秀さん談)。にもかかわらず、そのような前提を抜きにして、日本の農業政策はいまだに大規模化が前提となっているとのこと。その政策が「農村を衰退させる可能性すら」あり(107p)、小規模農家を前提にいかにして農業を守り、地域を守っていくかを中心に据えて政策を展開すべきである」(109p)と筆者は書く。「市町村合併は効率化をもたらさない」(118p~)という話もある。適性な規模が必要という話た。


ここでシューマッハが引用される。

・・・「規模の経済」ではなく、「範囲の経済」を考えて、地域の仕組 みを組み立てていかなければならない。 地域衰退を食い止めるために、「大きいことはいいことだ」という考え方は、過去の遺物として捨て去られなければならないのである。

 かつて一九七三年に、シューマッハーという経済学者が『スモール イズ ビューティフル」 という本を著し、世界的ベストセラーとなった。彼はこの本の中で、本のタイトルにもあるように、「小規模なもの」 や 「小さな集団」の重要性を説いている。

 彼は、次のように主張している。多少長くなるが引用しよう。

~~

 民主主義、自由、人間の尊厳、生活水準、自己実現、完成といったことは、何を意味するのだろうか。 それはモノのことだろうか、人間にかかわることだろうか。もちろん、人間にかかわることである。だが、人間というものは、小さな、理解の届く集団の中でこそ 人間でありうるのである。 そこで、数多くの小規模単位を扱えるような構造を考えなければならない。経済学がこの点をつかめないとすれば、それは無用の長物である。経済学が 国民所得、成長率、資本産出比率、投入・産出分析、労働の移動性、資本蓄積といったような大きな抽象概念を乗り越えて、貧困、挫折、疎外、絶望、社会秩序の分解、犯罪、現実逃避、ストレス、混雑、醜さ、そして精神の死というような現実の姿に触れないのであれば、そんな経済学は捨てて、新しく出直そうではないか。 

 出直しが必要だという「時代の徴候」は、もう十二分に出ているのではないだろうか。128-129頁

そして、130頁からのコラム「密度の経済」もまた、興味深い。一定の密度がなければ経済的になりたたないサービスがある。適性な規模に加えて、適性な密度という話だが、臨界点を超えて過疎化した地域に住み続けたいという思いと、この規模や密度の話は経済という面で見ていくと、成り立たない、と言えるかもしれない。経済から見る視点がまったく必要ないというつもりもないが、経済からだけでは見えない価値があるはずで、問題は、そのバランスをどう考えるか、という話でもある。規模や密度が臨界点を超えて、過疎化していても、そこに住み続けたいという人の価値観を否定してはいけない。そのバランスは、できるだけ、住み続けたいという人寄りに考えたい。

また、現在進められている「地方創生」*への批判も書かれている。
https://www.chisou.go.jp/sousei/mahishi_index.html に記載されている
まち・ひと・しごと創生「長期ビジョン」「総合戦略」「基本方針」の目標は以下

人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題に対し、政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指します。

人口減少を克服し、将来にわたって成長力を確保し、「活力ある日本社会」を維持するための
4つの基本目標
 「稼ぐ地域をつくるとともに、安心して働けるようにする」

 「地方とのつながりを築き、地方への新しいひとの流れをつくる」

 「結婚・出産・子育ての希望をかなえる」

 「ひとが集う、安心して暮らすことができる魅力的な地域をつくる」

2つの横断的な目標

 「多様な人材の活躍を推進する」

 「新しい時代の流れを力にする」

以下にそれへの批判を要約する

第一に、人口減少と地域経済縮小の克服という目標が非現実的で、罪深い。

第二に、地域特性を理解しない表面的な政策に終わる可能性がある。

 その根拠として、多くの自治体が総合戦略を策定するために外部委託を行っていることを上げている。そして過去の失敗例が挙げられている。

 このような計画は、住民参加を促して、時間をかけてワークショップを重ねて策定することが望ましいのではないか。

また、観光客が年間800万人も来る小樽市でも人口減少は止まらず、地域衰退に苦しんでいる、だから、人の往来を前提とした地域活性化策は、非常にリスクの高い手法だと著者はいう。153頁

本文の最後では、コロナ禍の中で東京にいなくてもなんとかなる仕事が多いことがわかったのだから、これを期に、東京への一極集中を変える可能性が語られ、「・・・必要なことを知恵を絞って考えていかねばならない。地域衰退を食い止めることは、疫病の中にある日本を救う道となるのである」と本文は閉じられる。

途中にも書いたが、できるだけ地域衰退を止めるということに異論はないが、衰退が不可避な状況もあり、なるべく誰もが苦しまない形での衰退を考えなければならないのかもしれないと思った。











この記事へのコメント