高橋悠治さんの文章を「詩風」にしてみた。
高橋悠治さんの文章を引用した過去のブログを偶然見かけて、つながっていたその文章に改行を加えて、空白行を勝手に入れて、詩のようにしてみた。
かなり上質の詩なんじゃないかと思った。
~~引用~~
「すでにないもの」の記憶 と
「まだない」夢とのあいだにゆれている「いま」の
半透明のスクリーンに映るはためく翼の重ね書きのずれた線の束が
ここをすぎていったかたちのないうごきの軌跡となって
不安定にゆらぎつづけるのが音楽ならば
ざわめくひびきをつくりだす息づかいや指先は
外側から見える書かれた楽譜や
結果としての音の分析からではなく
ひとつではない複数の身体の内部運動と
それらを顧みる内部感覚が途絶えずに「音楽している」プロセスを支えているということが
音楽がつづいているあいだは
声や楽器や演奏者をききわけながら
音楽の内側で音楽として生きられ
経験されている
音楽がやむと
この全体は失われ
音がうごきまわっていた空間も
跡形もない
「いま」は記憶と夢に回収され
語ることばは
音楽にとどかない
記号としての音楽
表象としての音楽ではない
記憶であり夢である創造のプロセスを手放さないでいれば
音楽は世界とつながっている
歴史 文化の伝統 政治 社会 自然
それらのなかで「音楽する」ことは
ひとつの交換であり
世界をともに感じる生きかたでもあるだろう
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