『エッチのまわりに・・・』その2(ほんの紹介63回目)
2023年5月に「たこの木通信」に掲載したもの。
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『エッチのまわりに・・・』その2(ほんの紹介63回目)
『エッチのまわりにあるもの』(すぎむらなおみ著)に関して前号の続き。
以下、目次。
まえがきはじまりは、おたより交換
- 第1章セクシュアルな悩み
勝負は、5分!?/「おたより交換」の内容紹介/「おたより交換」が必要なわけ/くつがえされる「常識」/ひとり、ひとりとつきあうために
第2章コンドームという「教養」
コンドームはむずかしい!?/きらわれるコンドーム/「ゲリラ(!?)授業」にいってみる/「おどし」ではなく「知識」を
- 第3章「ゲイ・スタディーズ」という視点
同性愛に偏見はない?/はじまりは世間話/ラブレター/その場しのぎ/問題だらけの「同性愛」概念/「同性愛者」への対応/ケンタ自身の混乱/同性愛をめぐる混乱
- 第4章ニューカマーの「女の子」たち
ニューカマーがやってきた/女子生徒たちのすがた/K中学の生徒との対比/学校における「同化圧力」/男子生徒の見解/学校文化とジエンダー/女性が働くことの多義性
- 第5章「文化」としてのセクシュアル・ハラスメント
ある女子生徒へのしつこい「からかい」/つづく「セクハラ」被害/はじめての「セクハラ」の授業/つかのまだった沈静化/「セクハラ」と生活背景/一律ではないジェンダー観を前提に
- 第6章DVと恋愛幻想
きっかけは虐待のニュース/特殊な子たちではない/対応の現実/「中立」の立場できく、という意味/当事者の「気づき」の重要性/「プチ結婚」としての恋愛/恋愛が「規範」になるとき/授業で考えるDV―「耳をふさぐ」生徒たち
- 第7章レイプからの回復
レイプ被害の実態/被害の概要/ことなる反応/ふっきったフウカ/「セックス」にたいする「常識」/司法における「経験則」/「性規範」という問題/ことばのせつめい事例でかんがえるレイプ―摂食障害と性的虐待
- 第8章男の子ゆえの「受難」
男の子が「まわされた」?/男の子も性被害にあっている/「ホモ」ってどうやってなるの/男性に特有のセクシュアリティの混乱/専門家とよばれる人々の現状/女性は加害者にはならない?/わたしたちになにができるか
- 第9章スクール・セクハラ 学校、養護教諭、当事者、それぞれがまもりたかったもの
学校がゆるせない/学校はただしい/学校がまもろうとしたもの/被害生徒をまもるとは/それぞれの現実/みぢかにいる者として、はずせないこと/「保護」「過保護」の境界- 第10章「援助交際」とはなにか
それって「援助交際」!?/それぞれのこたえ/それぞれの「さみしさ」/なぜ、「援助交際」なのか?/「女子高生」というブランド/教員たちの「援助交際」観/「援助交際」批判はだれのためにあるのか/それぞれのその後
この目次で保健室の先生の話が見えると思ったので、掲載してみた。手抜きなんだけど。
『第4章ニューカマーの「女の子」たち』では具体的なふたりの女の子の振る舞いから、ニューカマーの女の子たちが抱える現実を考える。この章の最後には「お嫁さんになりたい」というニューカマーの女の子のリアリティに触れる。母親が低賃金の工場でフルタイム働かざるを得ないという現実をみてきた女の子たち。定時制高校に通う彼女たちの就職状況も厳しい。そんななかで専業主婦になるということは、結婚を通して階級上昇するゆいいつの方法であり、彼女たちがそれを夢見るのは無理のない話かもしれない、とした上で以下のようにこの章を閉じる。
そして、彼女たちをそうした立場においこんでいるのは、わたしたちおとなであり、社会である。
確かにそうだ。しかし、専業主婦にあこがれるのは4年制大学に行っている学生にもいる。
またセクシャルハラスメントの授業に関して自らの授業にこんな反省が書かれている。
男女だけでもなく、また生徒の「出身階層」――つまり生活背景――によっても、ジェンダー観には相当な開きがあることを念頭におくべきであった。彼らがみずからのジェンダー観に自覚的になることをうながし、相対化することなしに、一般論を展開しても、その言葉はとどかなかったのかもしれない。
目の前の生徒を、社会的な存在としてみつめることの重要性を再認識したできごとであった。
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