【障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年・・・】という東京新聞の記事に触発されて

少し前(2023年7月24日)だが、東京新聞の「こちら特報部」で【障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年 元入所者家族は、元職員は何を思う】という記事が掲載されて、先日、その記事に関して、いまでも読むことが出来る。https://www.tokyo-np.co.jp/article/264975 知り合いの千田さんがフェイスブックでコメントしていたので、それにい触発されて、感じたことを書いた。そこに書いたものを少し書き直したのが以下。

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 大切な記事だと思いました。もっと議論が求められていると思います。

 その上で、という話ですが、県立入所施設の指定管理という「民営化」(この表現、多くは「民営」というよりも「私営化」あるいは「私物化」が正確ではないかと思いますが)の問題。この記事に書かれている通り、問題が大きいのは明白だと思います。しかし、同時にそれらの県営施設が直営だった頃どうだったかというのは別の話だというのもまた事実だと思います。
 記事に出てくる太田さんや松尾さんが、その頃の否定的な面を描くのに消極的なのが気になっています。西角さんは県営の頃の職員として、その問題を明確に指摘されています。(松尾さんは考え続ける会で同席しており、太田さんの話も聞いたことがあるので、お二人がが誠実でまじめな人だということは良く知っています)

 いま、思い出したのですが、ぼくは80年代後半、全障連の施設小委員会に参加させてもらっていた時期がありました。どのようにそれが終わったのか、覚えていないのですが・・・。いま思うと、見えていなかった問題も多かったように思います。

 現実問題として、直ちには地域での暮らしが実現できない障害者が存在するのは事実だと思います。そのための地域資源はまったく足りておらず、国や自治体も、それを本気でなんとかしようとしているようには見えません。そんな中で、入所施設を生活の場所として選びたくない、選ぶと本人はまったく言っていないけれども、選ばざるを得ない事例が少なくないと思います。重度知的障害と呼ばれる人の家族と離れた一人暮らし・地域での居住を想像するのは難しい時代でした。それが現実になりつつある現在でも、やはり入所を選ばざるを得ない人がいます。そんな中で、いまある入所施設を地域移行のための通過型にしていくということが求められていると感じるようになりました。(当時、そのことがどれだけ視野に入っていただろうと思うのです。)

 そのように考えたときに、「県立県営」という在り方がふさわしいのかどうか、微妙な問題は残ると思います。もちろん、各種の労働条件は県の職員と同等のものが求められるのは間違いないのですが、いまの公務員採用の仕組みの中で、公務員として、通過型の職員の仕事を続けるのは難しい面もあるようにも感じています。ただ公務員に戻せばいいという話ではなく、採用から育成、勤務の継続に関する抜本的な改革が求められているのだと思います。


追記
 また、この記事にある民間委託することで、施設内のトラブルや問題が明るみに出づらく、行政が把握しにくいという難点」も考えなければならない重要な視点だと感じました。さらに問題は「行政が把握しにくい」ということだけではありません。施設が外に出したくない情報は行政以外の関係者にも開かれるべきだと思うのです。指定管理を県から継続してもらうために、そこに蓋がされることが問題だと感じています。 youtube動画紹介『津久井やまゆり園事件  あれから何が 変わったのか?』(IWJ制作) https://tu-ta.seesaa.net/article/500453460.html にも書きましたが、県立県営の中井やまゆり園の虐待に関する報道や、開示は目に見える形になっています。他方、指定管理の津久井やまゆり園では、あの事件後さまざまな取り組みが行われているようであるにもかかわらず、事件前、津久井やまゆり園でどのような支援が行われていたのか、それを受けて、いまどうなっているのかという情報は小出しでしか外には出てきません。

 同時に上記で紹介した神奈川県職員である吉田園長(23年6月着任)の以下の発言も抑えておく必要があると思います。
「私たちは、学校からも地域からも排除されて入所してくる人の生活を再建し、地域で暮らせるように、幸せになってもらうため、支援を行っている。そうすると、確かにこれまでより現場の負担は大きくなっていく、それの困難を行政に伝えても、行政が 『入所者にはルーティンをこなし 安心安全に 何事もなく過ごせるようにする制度設計しかない。』と答えたならば、それにはモノ申し、変革につなげていかなければならない。民間には難しいだろうか。ならば、県営の私たちにはやるべきことだと思っている」
 これを違う方向から考えると、指定管理で委託された法人が言うべきことを言えないことが問題だと指摘することもできます。とりわけ行政が改革に後ろ向きな時に、指定管理を受託した法人が「モノ申し、変革につなげてい」くことがとても難しいだろうといいうことは容易に想像できます。だからこそ、指定管理が問題だということも出来るでしょう。   
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記事は上記のURLから読んでもらえばいいのだけど、消されたときのために念のために以下に張り付け
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障害者施設の「民営化」を進めていいのか? やまゆり園事件から7年 元入所者家族は、元職員は何を思う

2023年7月24日 12時00分
広場に鎮魂モニュメントが設置されている津久井やまゆり園=相模原市緑区で

広場に鎮魂モニュメントが設置されている津久井やまゆり園=相模原市緑区で

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件は、26日で発生から7年を迎える。元職員の植松聖死刑囚(33)は優生思想を動機とした一方、当時も園に導入されていた「指定管理者制度」を問題視する人たちがいる。施設の運営を民間に任せる仕組みを障害者支援の現場に取り込むのは妥当か。あの事件との関わりをどう考えるべきか。(宮畑譲)

◆指定管理者に委託からわずか3年、入所の弟が窒息死

 「県営時代は職員と入所者の親族との信頼関係が強かった。自由にものが言えたし、園に細かな要望を出して通っていた。民営化された後は、それまで担当していた職員の方がみんな異動してしまい、そんな雰囲気はなくなってしまった」
 津久井やまゆり園に弟が入所していた星野泰子さん(82)は、民営化前後で生じた変化をこう感じる。
 同園は重度知的障害者のための入所施設として1964年、神奈川県が全国的に先駆けて設立した。2003年に国が指定管理者制度を創設すると、県は05年、社会福祉法人「かながわ共同会」に委託した。
 民営化から3年目の07年、星野さんの弟は食事中に物をのどに詰まらせ、窒息死した。植松死刑囚の事件から9年前のことだ。亡くなった時は59歳。入所から約30年、食べ物をのどに詰まらせることはなかったという。
 「障害者施設では人が直接、サービスに関わる。人間関係が大事。障害がある人は関係性をつくるのに時間がかかる。担当の職員が代わると困るんです」

◆施設と入所者家族の話し合い激減、事件で途絶える

 弟は障害の影響もあり、よくかんで食べるのが苦手だった。職員が状態を把握して注意を払っていれば事故は起きなかったのではないか—。星野さんは今でもそう思っている。
 そもそも民営化後、食事の内容が変わった。弟は口に合わない食べない物が増え、亡くなる直前、ずいぶん痩せてしまっていた。
 県営時代、星野さんをはじめ兄弟姉妹が入所している人たちで「兄弟会」をつくり、月に一度、園と話し合う機会を持った。そこで改善点などを要望した。
 こうした活動は民営化後、事情をよく知る職員が異動で次々といなくなったこともあり、下火になっていった。星野さんは弟が亡くなった後も、環境改善を図ろうと園に通い続けた。しかし、これまであった報告や連絡は植松死刑囚の事件後に途絶えた。

◆元職員「民営化で障害者支援は後退」

 障害者支援の現場に民営化がなじむのか。津久井やまゆり園の元職員、太田顕さん(80)も疑念を抱いてきた1人だ。04年3月に退職する以前から、民営化に反対していた。
 
鎮魂のモニュメントで献花し、手を合わせる人たち=2022年7月26日、相模原市緑区の津久井やまゆり園で

鎮魂のモニュメントで献花し、手を合わせる人たち=2022年7月26日、相模原市緑区の津久井やまゆり園で

 「賃金カット、経費節減のためだろう。退職直前から非正規職員が増えた。障害者支援のいろんなものが後退したと感じている」
 太田さんが働いていた当時、津久井やまゆり園は県職員労働組合における福祉部門の拠点のような存在だった。活動を通じて、入所者の生活向上を目指した。
 民営化後に組合員はばらばらになり、活動はかつての活発さを失ったという。
 「県当局は指定管理者制度を導入することでコストカットと同時に組合つぶしを狙ったと思っている。利用者の幸せを追求する本当の福祉行政ではない。ただその責任は県だけでなく、指定管理者制度を創設した国にもあると思う」
 先の星野さんは、植松死刑囚の事件に触れた上で「指定管理者制度の導入が影響していたような気がしてならない」と話し、きめ細かさが失われた状況がどう関わるか、思いを巡らす。

◆委託取り消しが怖い...トラブル隠しなど密室化の恐れ

 民営化が事件や虐待などに直接つながるとは、必ずしも言えない。しかし民間委託することで、施設内のトラブルや問題が明るみに出づらく、行政が把握しにくいという難点もある。行政の管理が間接的になる上、委託の取り消しを恐れ、受託する側の報告が後手になる可能性があるからだ。
 植松死刑囚は事件前から「障がい者は生きていても意味がない」「安楽死させた方がいい」といった発言をしていた。他人を傷つける可能性があるとして一時、措置入院もされた。これらを園は把握していたが、県に報告していなかった。
 園がこうした対応に終始した背景に指定管理者制度の弊害があると指摘するのは、神奈川県の元福祉職の松尾悦行さん(71)だ。
 「モニタリングが形骸化しやすい。直営であれば、何か問題があった時、施設の幹部は自分だけの責任にしたくないものだ。もっと早く報告して別の対応を取る可能性はあったのではないか」と振り返る。
 さらに「民間事業者は公の介入を求めないし、行政の関わりも控えめになる。民間の力を生かすということと、運営指導が両立しにくく、お互いの責任が曖昧になりやすい」とも。
 一方で、神奈川県が運営する障害者施設「中井やまゆり園」でも、多数の職員による虐待などが判明している。松尾さんは障害者支援で問題なのは民営化だけでなく、現場の労働環境も見過ごせないと説く。

◆待遇悪く定着しない だから職員も育たない

 「施設のケア労働では利用者と24時間、暮らしをともにする。未熟な職員自身が利用者、同僚、上司と接して変わっていく。これが面白さであり、やりがい」。その半面、密室の権力関係ができ、支援が容易に人権侵害に転化しやすい面もはらむという。
 「非正規雇用が多く、賃金は安いので、求人は多くても定着せず、支援の専門性、実践力は高まらない。これでは指導する中堅職員も育たない。いつまた虐待など事件が起きてもおかしくない。そうした土壌は広がっているのではないか」

◆小泉政権のコスト削減策に巻き込まれた

 指定管理者制度は2003年の地方自治法の一部改定で創設され、公共施設の運営を民間に委託できるようになった。時は小泉純一郎政権。「官から民へ」の旗振りの下、民間の力を活用し、効率的なサービスの提供を図ることが目的とされた。法改定は小泉氏肝いりの総合規制改革会議の答申が元になっている。
2002年12月、総合規制改革会議に出席する(右から)石原伸晃行革担当相、小泉純一郎首相ら(ともに当時)

2002年12月、総合規制改革会議に出席する(右から)石原伸晃行革担当相、小泉純一郎首相ら(ともに当時)

 北海道大の宮脇淳名誉教授(行政学)は「公民館やホールといった、箱物の運営の無駄を見直すという視点で始まった。それが、社会のセーフティーネットの一つである重度障害者施設にまでコスト競争が入り込んでしまった。適用すべきでないものまで含まれていた」と話す。
 障害者施設のコストの大半は人件費。7割を占めるとも言われる。コストカットはサービス低下に直結しうる。「福祉の仕事は人件費のかたまり。公民館やホール、スポーツセンターなどの運営とは分けて考えるべきだ」と宮脇氏。
 事業の公共性の判断が自治体任せで、検討が不十分なまま、コストカットありきで民間に委託している面があると問題視する。
 「指定管理にするかは、自治体に任されている。国の役割が希薄で、制度的に放置し過ぎているのではないか。重度障害者施設のように根本的になじまないものもある。地方自治という名の下に任せきりにせず、国が主導して一定のルール作りをするべきだ」

◆デスクメモ

 物価高の中、どの職場もコストカットは人ごとでない。ただコストを削ればゆがみが出る。人手を減らせば残る人に負荷が。余裕がないと深刻なミスが。募るいらだちは誰かに向きかねない。新たな悲劇が起きてからでは遅い。コストカットに傾きがちなお偉方ほど、よく考えてほしい。(榊)

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