ある男性の障害者への計画相談支援を、ロールプレイングを交えながら、
①インテーク
②アセスメント
③計画案
④サービス調整会議後の計画
⑤モニタリング
という5つの段階を示していただいた。
寸劇としてもよくできていて、素晴らしいものだった。
だけどね。「障害者枠で働きたくない。普通に働きたい」「生活保護から抜け出したい」「普通に友達が欲しい」「就労支援は受けたくない。上から指示されたくない」「家の中まで入ってきて欲しくない」
こういうインテークから始まって、最後は、フルサービス漬けの生活提案。本人は納得いかず。でも「まずは見学しましょう。同行します」で最終的に計画を受け入れさせて、サービス漬けの生活を納得させたというシナリオ。
本人派遣・アルバイトでも働いているのに、就労継続支援B型に入れ込んじゃうとか。あり得ないんですけど。B型で、本人の望む「生活保護から抜け出す」は実現するんですか?
「友達が欲しい」に対して、すぐに「ピアグループ」を対置する。
おいおい。一日ロールプレイングを見て講義を聞いたけど、その人が、①いつも何をしている時が楽しいのか ②何が得意なのか ③昔はどんなことが好き・得意だったのか(精神障害者)など、その人のワクワクにつながる情報は一切見えなかった。本人の声は聞こえなかった。
自分が何をしている時が楽しいのか、と無関係に「障害者の友達だから、ピアグループ」って、どんなえげつない差別よ!
好きなことを共有することから友達ってできるんじゃないのかい?
ある特定のジャンルに詳しければ、障害があるとかないとか関係なく、そのジャンルの友達ってできるし、支えられるんじゃないの?今ならclubhouseとかさ!
「家の中に入ってほしくない」という人に「ヘルパー派遣」。
「思い出の詰まったものを捨てたくない」に対して「片付けの手伝い」と!
会場からも「この人は障害についての受容がない。だから自立訓練に入れて、自分の障害への理解をさせるべき」って!
おいおい!障害者は障害者らしくせよ!はみ出すなら放り込んで分からせてやる!
「来年のアパート契約更新の時、お兄さんに保証人になって欲しいけど、お兄さんに拒否されていて不安」というニーズ(嫌いな言葉だけど)に対して、「お兄さんに話をして保証人になってもらうよう働きかける」ってさ。
福祉の世界は、世間の常識を知らない。
そもそも令和2年に130年ぶりの民法大幅改正があって、いわゆる「保証人」は極度額(いくらまで保証するというもの)を入れ込んだ契約でなければ、無効になるわけで、その極度額の金額が低ければオーナーは納得しないし、高ければ保証人候補は納得しない。つまり個人保証人は難しくなっているというのが世間(とりわけ都市部)の常識だけど、福祉の世界にはそれが伝わっていない。農村部はまだ不動産屋は保証人を求め、保証人は支払い義務があると考えている。でも極度額が書かれていないものは、法的には無効なのです。
法律や社会がこんなに変わっているのに、10年前の相談支援専門員と変わらないやんかー。
なぜ厚労省は、国交省系の居住支援法人にスポットライトを当てているのか。そして厚労省、国公省、法務省のネットワークができているのか。都道府県はまだそれを理解しておらず、10年前と同じ研修をしている。
そもそも本人の好きなとこ、得意なことを一切聞かないまま、支援チームが発足する時点で、あり得ない。最終的に本人がその支援チームを受け入れて「めでたし、めでたし」だったとしても、それは「飼い慣らした」という意味でしかない。
飼い慣らさせる技術が、相談支援専門員に求められているの?
悪いけど国はもっと先を進んでいるよ。でも都道府県(千葉しか知らなけど)は、まだこのレベルなの?
会場からも素敵な意見があった。「なぜ本人が望んでいない福祉サービス漬けの計画を立てるのか。インフォーマルな支援は想定しないのか。こんな研修に参加したら、福祉サービス漬けしかしない相談支援専門員が育成されてしまう」という危惧の声が上がった。
それに対してはこうだ。
「私も民生委員をしている。でも民生委員は報酬が少ないから、ちゃんとしたサービスをする保障はない」と。おいおい!そういうことではない。
例えばね。ぼくが昔相談支援をしていたケース。本人は芸術系の大学を出て、いずれ舞台とか演劇とかをしたかった。でも社会人になって挫折して精神疾患になった。ひどい状態が続き、いわゆる「支援困難ケース」となっていた。
でもぼくは「あの頃やりたかったことをもう一度チャレンジしようよ!」と言って、ボイストレーニングを計画に乗せた。その後ボイストレーナーに「この取り組みを日中一時支援事業として継続してみないか?そのサポートをするよ」ということで、日中一時支援事業所「ララホーム」の立ち上げを支援した。
その後の彼女の人生は急上昇した。
全ての福祉サービスを切り捨てた。つまり相談支援員の仕事も終わった。それこそが仕事じゃないのか?
やばいね。この水準。
この先のことは考えるけど、他の都道府県も多分変わらない。
~~~~
~~~~
<つい魔がさして、2日連続相談支援について考えてしまった件>
実はぼく、一般社団法人千葉県相談支援事業協会の副会長をしています。なのに相談支援について書くことはあまりなかったね。今日は魔がさして、また書くことにしました。(怖くないから大丈夫だよ。)
計画相談支援とは、高齢者のケアマネジメントの手法を障害福祉に取り入れたもので、多くの類似性がある。
高齢者ケアマネジメントは、次第に弱っていく中で、必要な支援を厚くしていき、最後は人生のゴールを迎えるというシナリオなので、ケアマネジメントの出口戦略というものはない。
でも障害者ケアマネジメントは違うはずだよね。
研修等におけるシナリオは、計画相談支援がうまく機能した、というところにゴールが置かれるんだけど、それってどう?そこで思考停止?
そもそも自分の目標や24時間365時間の過ごし方などを、他人が時に自分抜きで決めていき、それにサインせざるを得ない環境というものが人の在り方としては異常な状況で、可能ならばそこから「卒業」しようというアイディアが業界全体としては全くないことに、ぼくは驚きを隠せない。
どうすれば計画相談からセルフプラン(あるいはノンプラン)に移行できたか。
どうすれば福祉サービスから、インフォーマルな相互支援(=お互い様社会)に移行できたか。
なので、この相談支援という業界が嫌いすぎて、あまり語ってこなかったのは事実です。
いいカウンセリングとは、そのカウンセリングがなくても生活ができることを目指す、いわば最初から出口戦略を前提としたカウンセリングです。
しかし今の計画相談(=障害者ケアマネジメント)はそうではない。ジワジワとサービス量を増やし、縛り上げていく。
精神科医療がジワジワと投薬を増やしていき、それ抜きには生きられなくするのと一緒。同じ収益構造と同じ非人間性を抱えている。
謙虚でかつ立派な言葉で、囲い込み締め上げていく。(医療は全然謙虚じゃないけど)
当社(=株式会社ふくしねっと工房)の相談支援事業は、出口戦略ばかり考えて、「おいおいこれで利益が上がるのかよ」と経営者としては心配になることはありますが、結果、相談支援の卒業生が増えても利益をちゃんと残しているので、胸を撫で下ろしています。
グループホームもそうだけど、「抱え込み」で利益を出そうとしても出ない。逆に利益を追わない方が利益が出る。面白いよね。
相談支援専門員のみなさん、どうか頭の片隅に、いつでも「自分は権利侵害しているのかも知れない」という意識を残していただき、葛藤の中で仕事をしていただきたい。多分その方が、いい仕事ができる。
明日も相談支援について書くかどうかは分からない。
道元の正法眼蔵について書くかも知れないし、コーランについて書くかもしれないし、シュレーディンガー方程式について書くかも知れない。
それは気分次第!
~~~~
ぼくの感想
特定相談支援事業所単独で事務所を借りて、利益が出せるかどうか微妙だと思うのですが、とても共感したので、記録に残したくなりました。
友野さんがこのように書く背景に、このように考えない相談支援が多すぎるというか、ほとんどの事業所はこんな風に考えていないのではないかと思えるような現状があるように感じています。
ぼくが相談支援に関して最近書いたのは
https://tu-ta.seesaa.net/article/493151286.html ですが、これ以上に、ぼくが言いたかったことが的確にわかりやすくまとめられているような気がしました。
この記事へのコメント