すごく久しぶりの沖縄での最初の夜に基地のことを考えた

『要石:沖縄と憲法9条』の読書メモ
https://tu-ta.seesaa.net/article/201202article_1.html
にラミスさんから返信をもらっていて、それへの返信も書いていた。

https://peoples-plan.org/oldsite/modules/blog1/index5387.html?content_id=18
から、辿ることが出来る。

島しづ子牧師主催のリトリートに参加するために、沖縄に来て、そのことを思い出した。

以下、沖縄に着いて最初の夜に考えたこと。
考えながら書いている。

読み返してみて、ラミスさんの主張をすごくおおざっぱにまとめると、
沖縄を踏みつけ続けているのは誰と誰なのか。
その踏みつける足を外すべきだろう。
そんな主張だということが出来るかもしれない。

問われているのは「踏まれて痛い」という声にどう応えるか、という話なのかという気がしてきた。

辺野古の建設が本格化して、「県外移設」という声はもうほとんど聞かれることもないが、少なくともヤマトゥでは。


とにかく、これ以上、沖縄に基地を作らせてはいけない。

そこは明確だし、そのための辺野古基地建設反対運動だろう。

また、ヤマトゥではあまり聞かれることもなくなった、『普天間基地の一刻も早い撤去』も忘れずに求め続ける必要があるだろう。

ラミスさんは、ヤマトゥの平和運動は実現しそうにない基地のない世界を求めて、沖縄の基地負担の軽減を遠のけているのではないかと批判する。踏まれている沖縄の痛みが忘れられているのではないか、という問題提起でもあると思う。その声はちゃんと聴く必要があるはず。

「しかし」とも思う。

実現しそうにないのはすべての基地の撤去だけではない。普天間基地単独の撤去も、また、そうなのではないか。いまの日本政府はそんなことを考えるはずもないし、ほんのわずかな時期の民主党政権もそこには踏み込めず、そこに一瞬踏み込もうとした鳩山元首相は、それをすぐにひっこめ、それをひとつの大きなきっかけとして、退陣することになった。

誰が見ても危ない普天間基地の撤去さえ、遠いところにあるのが、この国の現状でもある。

ラミスさんたちがいう75個のランドセルは沖縄が背負ったままだ。

辺野古基地建設はやめなければならないいという沖縄の民意は何度もの選挙で示されている。
しかし、日本政府はそのことを無視し続け、強引な基地建設を推し進める。

そこに対話は存在しない。

ラミスさんの憤りは、日本政府だけでなく、ヤマトゥの平和運動にも向けられている。そこでも時間をかけた対話が求められているのではないか。「県外移設」という声を無視するに等しい態度を改める必要があるのではないか。

「どこにも基地があってはならない」という原則を崩したくないという声は存在し続ける。というか、ぼくもいまだってそう思う。しかし、「県外移設」を求める声に聴く耳をもたないという態度が誤っていた、というのは言えるかもしれない。

その声が生まれる背景を理解し、じゃあ、どうしたらいいかという時間をかけたダイアローグを行うことが求められていたのではないかと、いまになって思う。

そんなことを考えた、久しぶりの沖縄の最初の夜だった。


追記

「県外移設」というスローガンをめぐっては以下にも長い文章を書いていたのをいま発見した。

「沖縄の米軍基地」(高橋哲哉著)メモ
https://tu-ta.seesaa.net/article/201704article_6.html

ここに「以下の文章はもう少し整理して、どこかで発表する予定」と書いてあるが、どこかに発表した記憶はない。




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