立岩さんのこと
以下の案内を受けて、立岩さんへのメッセージを書いたので、ここに残しておきます。
1月27日の「立岩真也先生を偲ぶ会」及び「
立岩真也さん追悼集会」に向け、
「立岩真也さんへのメッセージ」ページを公開いたしました。また1月27日の催しの詳細につきましては、以下に掲載されております。
みなさま、どうぞご覧くださいませ。
立岩さんのこと
いつ、どんな風に知りあったのだろうと思い出そうとして振り返ってみたのですが、思い出せません。
『私的所有論』という本があることは知っていたと思います。そして、まったく覚えていないのですが、21世紀の初め頃から数年前まであった障害学MLでのメールが出会いだったのかもしれません。ぼくはLOGを残していないのではっきりしたことはわかりませんが。
覚えていて、記録があったのが関東障害学研究会での立岩さんの発表。
「ないにこしたことはない、か・1」 http://www.arsvi.com/ts/2001023.htm この記録によると、開催されたのが2001年1月27日。東京に珍しく雪が積もった日でした。雪だったにもかかわらず、たくさん人が集まって、立岩さん人気があるのだなぁと思ったのでした。そして、ぼくもこの感想を書きました。たぶん、立岩さんにぼくから売り込んで生存学のサイトに掲載してもらいました。http://www.arsvi.com/2000/0103tm.htm 土屋さんが立岩さんの思い出を辿っているフェイスブックの記事のコメントにこの話を書いたら、土屋さんも覚えていて、大きなリュックサックを抱えて(売り物を積めて)松本からやってきた話があり、そうだ、まだ京都ではなかったのだと思いだしました。
あと、覚えているのが第1回の障害学会。2004年6月@静岡県立大学、報告は聞かずにロビーで物売りをしながら赤ワインを飲んでる立岩さん。ぼくもわけてもらいました(たぶん)。研究者でもなんでもないのでアカデミズムとはほとんど縁がないから、ぼくにとってどうでもいいはずのアカデミズム。どうでもいいはずなのに、どうでもいいとは思えず、でも好きになれないアカデミズム。そんなぼくですが、すごくアカデミズムな人なのにアカデミズムから遠そうな立岩さんにはなぜかとても親近感を感じていたのです。
数年前、生存学研究所にも誘ってくれて、何をしてるわけでもないのに、名前を入れてもらったりもしました。そして、ぼくのところにもそのうちインタビューに行くよって話があり、そんな口実で話をして飲めるのを楽しみにしていたのに、かなわない話になってしまいました。楽しみにしていたのに残念過ぎ。でも、もっといろいろ書いたり、やったりしたかったはずで、いちばん残念なのは立岩さんだよね。
追悼のメッセージになんか中身のあることを書きたかったのに、何も思い出せません。もしかしたら、中身のある話はしてなかったのかなぁ。
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これを書いて、送った後、出てきた立岩さんの話の感想。
これが立岩さんの長い話を聞いた最後だったかも。
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