また「沖縄が戦場になる」って本当ですか? (ブックレットの「ほん紹介」70回目)

2023年11月に掲載されたたこの木通信の原稿。


また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?

(ブックレットの「ほん紹介」70回目)



11月の初旬、誘われてすごく久しぶりに沖縄に行ってきた。知り合いの牧師さんが船長をやっていたので、辺野古ではカヌーを引く平和丸に乗せてもらったり、グラスボートで大浦湾の希少なサンゴを見たり、ほんの少しだけキャンプシュワブのゲート前の工事車両の搬入に抗議する座り込みにも参加した。

そんな風にヤマトゥ(「本土」)から来て、沖縄の運動を消費しているだけじゃないかという問いが頭から離れず、もやもやした気持ちを残しながら、それらの行動に参加していた。

そこで感じたのは沖縄の運動が持つ、沖縄が戦場になることへの危機感。沖縄の運動は明確な危機感を意識していると感じた。そして、その危機を回避するのは、双方の「対話」しかないという主張だ。争うのではなく「愛」をベースにした交流の必要が訴えられている。「愛」という言葉はとても使いにくい言葉だが、1123日に予定されている県民大集会のキャッチフレーズは「争うよりも愛したい」というもの。これだけ聞くと鼻じらみそうな気分にもなるかもしれないが、沖縄のひっ迫した状況がこのスローガンを生んだということを真剣に考える必要があると思う。

表題の『また「沖縄が戦場になる」って本当ですか?』というのは「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」が発行したブックレットのタイトルでもある。そこに日米共同で台湾有事に備えて、沖縄県の40の島が攻撃拠点になる計画が作成されているという講演記録が掲載されている。講演したのは長年防衛庁を取材してきた共同通信の石井暁記者。安全保障法制が出来るまでは、個別的自衛権しか認めわれておらず、日本が台湾有事に巻き込まれて米国と一緒に戦争することはなかったはずだが、この安保法制によって「重要影響事態」や「存立危機事態」には米国と一緒に戦わざるを得なくなってしまったと石井記者は講演している。その危機感を沖縄の社会運動は明確に意識しているのに対して、ヤマトゥ側の運動はどれだけ、その危機感を共有できているだろうか?

沖縄には、どうすればこの危機が回避できるのかという観点からの具体的な取り組みがあり、「沖縄対話プロジェクト」という運動が始まっている。これには以下のような説明がある。

対話とは、はじめは「理解できない」と思っていた人びとと、一個の人間として向き合い、相手を尊重し、相互に理解しようと努めていく作業です。戦争は対話が途絶えたところから始まります。まずは台湾の市民と対話を行い、さらに中国や米国の市民との対話を試みます。沖縄内部においても、日本国内においても、進む対立・分断を越えるには対話以外にありません。

そんな風に対話を重要視する本を最近読んだ。高木俊介さんが書いた『対人支援のダイアローグ』(金剛出版20228月)。この本にある現状の精神医療・精神療法の歪みを照らし出す鏡としてのオープンダイアローグ(OD)というような話も興味深かったのだが、ぼくには民主主義のベースにあるはずの対話、それを実現するためにODについて考え、学ぶことが一助になるというか、対話的になることこそが民主主義だという話がとても興味深かった。そう、民主主義とは多数決のことではなく、話し合いで折り合える場所を探していく作業だ。それを広く適用すると、引用した沖縄対話プロジェクトの趣旨にあるように「理解できない」と思える相手とも対話し」折り合える地点を、それぞれの持っている知恵を最大限出し合って探し、戦争を回避するということにつながるはず。このことは戦争を反省し、戦争を手段としないと決めた憲法の精神でもあるはず。

紹介したブックレットは「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」のホームページから購入できる。また、このホームページの記事には示唆に富んでいるものが多い。沖縄で強く感じたのは、やはり問われているのはヤマトゥの側だということ。

つるたまさひで(大田福祉工場/原爆の図丸木美術館/知的障害のある人の自立生活について考える会) 



送った原稿は回数表記が間違っていたため、訂正

この記事へのコメント