ぼくからの問いに対する吉田太郎さんからの返信とそれへのぼくからの返信。
以下はフェイスブックに書いてもらった吉田太郎さんからの返信です。
https://www.facebook.com/taro.yoshida.946/posts/pfbid02poGDUpgexfQ4SgWbETTmEwcFJWVcCE9yCqs7T4j73kv5Ko79ZYnRXRrrwc9YJodNl
フェイスブックはあとで探すのが大変なので、こちらにも残しておきます。
その後に、ぼくが条件反射的に書き殴った、この吉田さんの応答への返信を貼っておきます。
まずは吉田太郎さんからの返信から
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実は、1月7日に「つるたまさひで」さんから、こんな問いかけをいただいたままずっと放置してある。
https://www.facebook.com/taro.yoshida.946/posts/pfbid02poGDUpgexfQ4SgWbETTmEwcFJWVcCE9yCqs7T4j73kv5Ko79ZYnRXRrrwc9YJodNl
フェイスブックはあとで探すのが大変なので、こちらにも残しておきます。
その後に、ぼくが条件反射的に書き殴った、この吉田さんの応答への返信を貼っておきます。
まずは吉田太郎さんからの返信から
~~~
実は、1月7日に「つるたまさひで」さんから、こんな問いかけをいただいたままずっと放置してある。
「変化に向けた各地での努力はあるものの、メインストリームはいつまでたっても変わりそうにありません。それでも、与えられた場所で出来ることをやっていくしかないのですが、この状況をどう見ていますか?」
あまりにも重い命題でずっと放置してきた。確かに地震といい、戦争といい、暗澹たることばかりだが、いくつか、断片的に感じていることを書き連ねてみたい。
■人は死ぬ。したがって、一瞬、一瞬を丁寧に生きること。過ぎ去りし過去の後悔とまだ来ない未来への不安は時間の無駄
1月16日に在熊本の友人、松下修氏の投稿を見た。臨死体験をされとの由。その時の感想が次の通り。
「人はいつ逝くのかわからない。時間のある時に、今を思い切り、生き抜かなくてはと思います」
■人は幸せを求める生物である。マネーは手段。だから、幸せをベースに考えた方がいい
京都大学の広井良典教授が行ったAI未来シミュレーションでは「都市集中型」か「地方分散型」かの分岐が最も大きく健康や幸せの観点から地方分散型が望ましい
したがって、1月5日に放送されたNHKスペシャルでも斎藤幸平さんが評価する地方分散&脱成長社会を目指したい
■脱成長・地方分散化社会を実現するには?
健全な社会を構築する鍵は信頼とつながりにある。モノを作るための技はよく技術だと言われるが、信頼とつながりをつくる作法も脳神経科学から技術化できると私は思っている。それは、古今東西の古典、例えば、論語等の黄金律をいま風にバージョンアップすればいい。
顔淵第十二2「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」
マタイ福音書7章12節「人にしてもらいたいと思うことは何でもあなたがたも人にしなさい」
■3.5%を賛同者を得て社会を変えるためには
世代によって世の中の感じ方はかなり違うと思う。高齢者は日本の富がどんどん減っていく中、既得権益によりしがみつこうとしているし、就職氷河期はビジネス派と自給派と二極化している感じがするが、Z世代の中でもセンスがいい人たちは、いまのところはマイナーでしかないかつての有機農業とか協働組合思想(一樂照雄とか賀川豊彦)とかなり重なるところがあると思っている。なので、未来はかなり変わると期待しているし、中途半端な最近の言説を読むよりは、私は図書館で昔の本を借りて読むようにしている。その方がインスパイア―されることが多いので。
■声をあげるべきことは?
つるたまさひでさんが言うように、誰も与えられた場所で出来ることをやっていくしかないし、多様な人が自分の好きな範囲で同じ方向を目指していけば、それでいいと思っている。料理が好きな人は素材から手作り加工をすればいいし、山仕事が好きな人は自伐型林業をやればいい。あるいは、私のように日々、どうでもいい活字を書いても、それで喜んでくれる人がたった一人でもいればマスターベーションにはならないだろう。
とはいえ、以下のルールは、例えば、農と食でのSDGsを実現するうえでの「黄金律」だと思うので大切にしたい。
① 国家自給を達成し、食料危機を回避するためには、「アグロエコロジー」「食料主権」そして「ローカル」が鍵
② アグロエコロジーは各風土に根ざすため普遍的な技術はありえない。このため、国家はゆるがない原則論としての方針(例えば、脱原発・節エネ)を掲げ、後はローカルにまかすべき
③ 総論としての原則論(アグロエコロジーが大事とか、生命の創発原理を活かせば無農薬・無化学肥料でできるとか)を多くの人が知るためには、多少の学問的な精緻さを犠牲にしても、多くの人に伝わるような映画とかアニメとかマンガが有効
④ 総論としての原則論(給食の資材は有機にしようとか)がある程度、周知された段階で総論は不要。各地域で実践している人々同士が互いに相互の事例を学びあって刺激されればよい(各事例には海外も含まれる。なお、こうした事例をつなぐためのプラットフォームを公的機関が作ることは有効)
■この世の中は複雑系である。だから、シンプルな解決策はたいてい疑った方がいい
人は複雑さに耐えられない。この心のスキマを埋めるのがわかりやすい「陰謀説」だ。「○○農法で一発で解決」といった主張は疑った方がいい(注)。一方、アグロエコロジーを実現するために、有機農業学会とかで、アカデミックの諸先生方が口にするため常識でありながら、日本で一番、話題にならないのは、ローカルと食料主権。これは地方自治体が頑張るしかないと思っている。なので、食料事情の不安とか緊急事態とか災害を契機に地方自治を奪って中央に権限を集中しようとする今の空気がとても怖いと思っている。
以上、書き足したり、修正するかもしれないが、いま漠然と考えていることを自分軸から少しずつ、社会へと視野を広げる感じて書いてみた。
(注)誤解を受けるといけないので補足を。例えば、稲作についても、稲葉光國さんの農法は水温が低い地域では難しいですし、こちらについては、今度、三木孝昭さんの本が出るようです。
また、深水湛水もできるところとできないところがあります。イネと雑草の整理に応じて、アイガモ、チェーン、カブトエビ、鯉等色々なやり方があると思います。
~~吉田さんからの返信、ここまで~~
~~以下、上記へのぼくからの返信~~
(吉田さんからの応答を読んだ翌日の夜に再読して書きい殴ったもの)
~~吉田さんからの返信、ここまで~~
~~以下、上記へのぼくからの返信~~
(吉田さんからの応答を読んだ翌日の夜に再読して書きい殴ったもの)
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吉田さん
返信、ありがとございましいた。
重苦しい問いを投げかけたのに、ちゃんと応えてもらったことに本当に感謝します。
東京に住んで、都会の便利さにおぼれるくらい浸って、経済成長の恩恵をそれなりに受けている自分がいうのもなんですが、地方分散と脱成長という方向は、その通りだと思います。
吉田さんが書かれていること、強弱のつけかたに違いはあってもその通りだと思いました。
これに加えるとしたら、斎藤幸平さんも提唱している「ケア革命」の視点でしょうか?
吉田さんの提起された視点はエコフェミニストの初期の人たちが提唱した「サブシステンス・パースペクティブ」ともほぼ重なっていると感じました。
経済成長を追い求めるのをやめ、自然や人間同士の豊かな関係を求める方向とまとめることも可能かもしれません。
そう、吉田さんとの強弱の違いで言えば、同時に、状況が絶望的であることも直視する必要があると感じています。
生きようとする人間にではなく、終わらない戦争につぎ込まれる膨大なお金。そのことで利益を得て、それを終わらせたくないという人たちが地球を支配しているように感じています。
あるいはSDGsを口にしながら、自らの利益を追い求め、まだなだ使えるものを使い捨てて利益を得るファストファッションやコンビニ。そして、それなしでは生きていけないように感じさせる社会。
世のなかのメインストリームはそちら側にあり、分散や脱成長を求める声が、メインストリームを食い止め、変えていくまで、地球がもつかどうかという瀬戸際を生きているのだと思います。
その絶望的な状況は、それとしてちゃんと見ることが必要なのだと感じています。
しかし、同時に、吉田さんが書いているような変化の兆しにも敏感に感応し、日々を愉しく過ごすことも必要だと思うのです。
その矛盾する両方を生きるためのネガティブ・ケイパビリティなどもまた求められているのかなぁと感じています。
そうそう、吉田さんに問いを投げかけたのは、こんな新年のあいさつを書いたのがきっかけでした。
~~
’24年01月04日
2024年、新しい年を迎えた挨拶。状況に絶望しつつ、楽しく生きるということ。
~~ぼくからの最初の応答、ここまで~~
やりとりが続けば、また増えるかも。
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