民主主義とダイアローグ (「ほんの紹介」71回目)

2024年1月に掲載されたたこの木通信の原稿。
強調部分など少し訂正。

民主主義とダイアローグ

(「ほんの紹介」71回目)

 今回、紹介するのは高木俊介さんが書いた『対人支援のダイアローグ』(金剛出版2022/08)目立たないサブタイトルは「オープンダイアローグ、未来語りのダイアローグ、そして民主主義」

 現状の精神療法の歪みを照らし出す鏡としてのOD(オープンダイアローグ)というような話は興味深く、主にその話が書かれている。しかし、ぼくには民主主義のベースにあるはずの対話、それを実現するために、ODについて考え学ぶことが一助になるという話がさらに興味深く、その話を書く。民主主義にとって、いちばん大切なのは選挙でも多数決でもなくて対話=ダイアローグだという思いを強くした。そんなことに関心がある人にもぜひ読んで欲しい。巻末の座談会から読むのもいいかも。

 この座談会の中で高木さん「民主主義とは傷ついた人の声」であり、みんなが持っている小さな傷つき、その傷を汲み取り合い、聞き合うのがダイアローグであり民主主義だと言い、こんな風に続ける。

そんな集団を基礎に社会を作っていく、「民主主義というのは傷ついたもの同士の語り合いであるみたいな感じ、なかなか難しいけどね」

 美しいというか、こうあって欲しいと思える民主主義のイメージではある。確かに、こんな組織を作っていきたいと思うし、小さな場所での可能性はあると信じたい。試行錯誤の中で、それを求めるプロセスこそが大切だと思う。

 その高木さんの話を受けて、竹端さんはあるべきリーダーのイメージをこんな風にいう。

トラウマのメガネで組織内の課題を眺めた上で、一人一人の傷つきについて安心して語れるような組織的基盤を保証するリーダー・・・リーダーに求められるのはそういう「傷ついた声がそのものとして出せるような組織作り」をどうできるのか、それを安心して聞けるような素地をどうつくれるのかということだと思います。

 これを受けて、リーダーが自らのヒエラルヒーの弊害についてダイアローグを続けなければならないこと、そのリーダーたち自身の対話が足りないこと、リーダーのピアサポートの必要、対話をせき止めてしまっているのがリーダーではないかという。

「傷ついた民主主義」、ダイアローグによって社会が変わっていくときの目指す先という意味でももっと深めたい

という話で座談会は終わる。

 そして、「あとがきにかえて」で高木さんはソーシャルネットワークの重要性について書く。それは「親子・家族、友人、近隣、学校、職場」。ODの創設者たちの最初の本の原題は『ソーシャルネットワークにおける対話ミーティング』であり、

著者らによれば、近現代社会の特徴はこのソーシャルネットワークの機能不全が顕著になったことにあるという。

 ODもAD(未来語りのダイアローグ)もこのような現代社会に対する認識が背景にある。

それに続けてこんな風に書かれている。

 精神病者と彼をめぐるソーシャルネットワークの中で、ODによって生まれる新しい現実は、彼を取り巻くネットワークそのものを変容させる。ネットワークはそこから異質な人間、違うパースペクティブをもった人間を排除するのではなく、ネットワーク自身が変わるのである。これを積み上げていけば、ネットワークは社会の全体に近づいていき、社会はネットワークとともに変化する。ODは、精神病者を医学的観点によって治癒させるのではなく、彼が安心して過ごし、彼もまた周囲の人々との共同の現実を受け入れていけるような新しい共同体を準備するのである。そのとき、ODはすでに精神医学を超えている。

 精神医学の中にあって、その精神医学を易々と超えるODは、いずれ社会のダイアローグそのものとなる。あえて言えば〈精神病者すら〉包摂するほどにダイアローグが成熟した社会は、他の誰にとっても安心できる生きやすい社会であろう。そして、そのような社会は、現代の私たちが慢性的に抱かざるを得なくなってしまっている流動性と不確実性に対する強力な抵抗の基盤となる社会である。

   夢?

 だが、私たち精神医療や心理療法、障害者援助に携わる者が、 そして、排除され無視されてきた 人々が望んできたそのような夢は、実は私たちの日々交わす言葉によって作り上げていく現実であると、ダイアローグの思想は語りかけてくる。

 現実は絶望的なほど分裂し、対話は見えない。しかし、それでも、という話でもある。

===原稿、ここまで===

この原稿の元になった、もう少し詳しい読書メモは
https://tu-ta.seesaa.net/article/501424946.html

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