受け入れがたいものを受け容れる多様性と、ここはゆずれないという人としてのコアな部分をどう両立させるか

今年度(2024年)、PARC自由学校の「フィアレス・シティへの道」という講座を受講している。前回は休んだけど。
https://www.parcfs.org/2024-01/
(ちなみに去年のこの講座の紹介URLは https://www.parcfs.org/2023-01

これがとても興味深い。

ぼくが勘違いしちゃいそうだったのが、フィア・レスとフェア・レスの違い。
日本に多いと感じるのはフェアレス・シティ(公平性がない都市)。日本だけじゃなくて、世界中には多いのはこっち。ちなみにフェアレス(fair-less)っていう単語は辞書にありません(笑)。

で、この講座のタイトルは「フィアレス・シティへの道」
「恐れない街(都市)」という日本語訳がある。
説明すると、新自由主義や大企業ばかりが優先される社会で、それを推進するEUや国家や多国籍企業やマスメディアを恐れず、難民受け入れも恐れず、地域経済と地域の民主主義を発展させることで制裁を受けることを恐れずという「3つの恐れず」を宣言し。同じ志をもつ都市、というようなことらしい。『水道、再び公営化』(岸本聡子著)144頁参照。

とはいえ、正直、フィアレスとか言われても、わからんなあ、この座りの悪いカタカナ言葉、なんとかならんのかとも思う。

この名前の問題はともかく、講座自体も興味深いのだが、受講者のMLへの投稿もまた興味深い。
1回目の中島岳志さんと2回目の内田聖子さんの講座をうけて、MLで多様性と価値観の相克というような問題提起があり、考えさせられました。

そこから敷衍して、思ったのが

タイトルに書いた
受け入れがたいものを受け容れる多様性と、ここはゆずれないという人としてのコアな部分をどう両立させるか
という問いです。

ダイバーシティーを声にするのは簡単です。実際、東京で小池知事が声にしているように。
しかし、それを認められず、排除が進む現実が多数あるのも間違いありません。

また、そのように為政者の話だけでなく、私たち自身が、受け入れがたいものと同じ空間を共有せざるをえないときに、どのようにそれができるか、ということも問われます。

「多様性はうんざりするほど大変だし、めんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」とブレイディみかこさんは「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で書いていました。

このうんざりするほど大変だし、めんどくさい」という部分を忘れないことがけっこう大事なんじゃないか、
それを自覚して、うんざりするほど大変だし、めんどくさい、対話や共生・共棲の方法を模索していくことが求められていると思うのでした。

受け入れがたいものを受け容れる多様性と、ここはゆずれないという人としてのコアな部分をどう両立させるか
という問いへの明確な答えはありません。
具体的な場面で、エラー&トライアルを繰り返しながら、考え続けるしかないのではないかと思ったのでした。



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