『地域主権という希望』メモ

『地域主権という希望』メモ


この本も。フィアレス・シティ(資本や国家を恐れない都市)に関連して読んだ。



出版社のサイト
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b616781.html

から(このサイトで冒頭部分の試し読み可能、詳細な目次と序章の「なぜ区長選挙に出馬したのか」もここで読みことができる)


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注目の杉並区長はいかなるビジョンに基づき、何を実現しようとしているのか?

政治・行政経験ゼロ、地縁・血縁なし。異色の経歴と劇的な僅差の勝利で、一躍全国からの注目を集めた杉並区長・岸本聡子。

その型破りな政策ビジョンは、20年あまり在住したヨーロッパで調査研究してきた「ミュニシパリズム(地域主権主義)」に根ざしている。

地域住民が主体となって市民政党を形成し、首長や議員を送り出して自治体の政策決定に参加する。

住民生活を守るために政治の力を最大限に活用し、政府や企業の圧力にも決然と立ち向かう「恐れぬ自治体(フィアレスシティ)」。

99%の人々の生活を守り、危機的な気候変動を食い止めるために、「公共(コモンズ)」の力を回復していく――。

この新たな潮流は日本でも実現できるのか?

ヨーロッパや中南米の各地で展開するミュニシパリズム自治体の草の根ムーブメントを多数紹介。

新自由主義とパンデミック、そして排外主義の台頭から人々の生活と自由を守る、グローバルな挑戦の息吹を伝える。

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目次

序章 杉並区は「恐れぬ自治体」をめざす

第1章 ミュニシパリズムとは何か

第2章 新型コロナパンデミックと「公共」の役割

第3章 気候危機に自治体として立ち向かう

第4章 「もうひとつの世界」はもう始まっている

おわりに


本の内容の大部分は、岸本さんが区長になる前に「マガジン9」に連載したもの。それは https://maga9.jp/author/kishimoto/ で読むことが出来る。アルファベット表記をカタカナにするなど、本のほうが読みやすい文章になっている。


以下、面白かったり、気になったりした部分抜き書き

ブリュッセルの気候ストライキのリーダーシップはみんな女の子だ。その一人アヌナ・デ・ヴェーバーは、同性の環境大臣が親しみを込めて「若い人たちが環境対策を支持してくれて嬉しい」なんて言ったら、「(何とぼけたこと言ってるの?)私たちはあなたたち政府の腰抜け政策に完全に反対しているし、怒ってるの」と一蹴した。74頁

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何が無駄で、何が大切なのか

 日本では、国内外からのあらゆる批判を受け止めることなく、緊急事態宣言下でオリンピック開催が進行していったのが痛々しい。2013年に誘致が決定して以来、巨額の公費(税金)が説明責任を果たすこともなく、際限なく不透明に、オリンピック周辺の既得権益のために明らかに無駄に使われた。原発災害の犠牲者をはじめ、他の大切な課題を置き去りにして。いまの政権に望むべくもないが、オリンピックに向けられた政治的な強い意志、人材、資金が、仮に被災者の救済、気候変動対策、ジェンダー平等、コロナ禍で困窮する人々の支援へと向けられていたらと、むなしく想像する。

 既得権益のためにジャブジャブと税金を使う一方で、災害に備えた水道管の更新や、過酷な環境で必死に働く看護師や介護士の給料はコスト削減の対象で、貧困世帯の子どもたちのための予算も非常に限られた社会。社会に必要な支出を宿命的に「コスト削減」させるやり口を、私たちははっきりと拒否しなくてはいけない。177頁

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分断を越え、議会制民主主義を底上げする「対話の場」

 国ごとにさまざまな事情はあるが、議会制民主主義が機能不全を起こしているのは世界中で共通していることだ。ベルギーで注目される革新系シンクタンクの「ミネルバ」は、「有権者の80%は富裕税を支持し、95%の人が気候変動を止めるために緊急措置が必要だと信じている。年金支給開始年齢を6歳に引き上げることには、10%以下の有権者しか賛成していない。でも、このような大衆の意思は政治に届かない」と指摘している。

 ミネルバは「左派は自分たちの『いつものグループ』の中だけにいて、孤立していたり政治的な支持先を失った人たちと対話をしようともしていないし、そのための場所もつくっていない」と手厳しい。その通りだ。選挙やデモだけでなく、日常的に社会や政治について対話する場がかつてはあった、と60代の友人は言う。かつて彼は、親に連れられて日曜日礼拝に行っていたそうだ。教会の傍らにはどこでもカフェがあり、礼拝の後にはコーヒーやビールを飲みながら、地域の人たちが地域のことを話し合う場所があった。居場所があった。

 その後、伝統的なキリスト教的価値への対抗勢力として社会党が勢力を伸ばしたが、彼らも教会のコミュニティ構築に倣って、ソーシャリスト・バーやカフェを各地に作ったそうだ。「レッドスター」とか「レッドライオン」といったバーは、利益を含まない民主的価格としてビールを1ユーロ(通常は2ユーロ)で提供した。人々は夜な夜なそこで社会主義を語った。

 今日、日曜日に教会に行く人も極端に少なくなり、ソーシャリスト・バーもほとんどなくなってしまったという。個人主義と分断、孤独が当たり前となった社会で、ふたたび社会的・政治的インフラとして地域の拠点を作ろうというミネルバの提案は新鮮だ。進歩的左派政党(フランダースでは緑の党、社会党、ベルギー労働者党)と労働組合や社会団体が一緒になって、各地域にポリティカル・コミュニティセンターを作ってはどうかと提案する。政党は公的資金を受けているからお金はある。ひとつの政党にこだわらない、住民に開かれた「対話の場」を作ることができる。そうした場は、討論会、レクチャー、トレーニング、映画上映会、文化的活動などの拠点もしくは居場所になる。場合によっては、地域の保健所や非営利のデイケア、協同組合の有機栽培マーケットと共同してもいい。私たちには、ツイッター上で不満をぶつける代わりに、対話する地域の場が必要ではないか。210-211頁

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また、かなり気になったのが

第4章4 【食と農、流通のミュニシパリズム的な革命】 というタイトルの中にある文章。

「ラ・ラクテリア」というアルゼンチン第3の都市・人口約170万人のサンタフェ州ロサリオでの取り組みの紹介があり、それをベースにしてできた「都市の未来」という地域政党の話が紹介されている。

「ラ・ラクテリア」については以下の説明がある。以下は本からではなく、WEBサイトにある文章 https://maga9.jp/210407-2/ からの抜き書き。ぼくが気になったところを適当にピックしただけなので、興味のある人は、このURLから全文を読むのがおすすめ。それほど長いわけではない。

この「アグレリアン・ミュニシパリズム」の魅力的な例として、アルゼンチン第3の都市・人口約170万人のサンタフェ州ロサリオでの取り組みがある。「La Lactería」と呼ばれる、都市近郊の酪農農場、協同組合、都市の消費者をつなげるプロジェクトだ

この「アグレリアン・ミュニシパリズム」に関しては以下の説明がある。

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 食と農は、生きることと直結している。食べ物と土地を公共財として守る運動は、資本主義下の持続不可能なグローバルサプライチェーンに対抗する共通の地域戦略になるのではないだろうか。実際、すでに日本でも世界でも多くの地域や運動体が実践しているが、こうした運動に新しさを加えるとすれば、都市近郊農業と都市労働者、失業者、消費者をつなげる取り組みをどれだけ「政治化」できるかということだろう。「政治化」には、食料主権(food sovereignty)とすべての人の食へのアクセスを守ることも含まれる。

 つまり、「農・食・流通」を公共政策として、地方自治の主要な戦略に位置づけられるかという挑戦が起きているのだ。だから私はこうした運動を「アグレリアン・ミュニシパリズム」(農のミュニシパリズム)と、あえて政治的な色で捉えたい。都市を囲む近郊農地は、オルタナティブな経済と都市計画を発展させるうえで、戦略的な重要性を持っているという考え方だ。

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以下はアルゼンチン第三の都市ロサリオの社会運動「ラ・ラクテリア」から派生した地域政党「都市の未来」についての記述。

 政党政治の権力闘争や公的機関の官僚機構に巻き込まれることなく、さらに社会運動の自律性を損なうことなく、市政を担う政党として機能できるか。これはミュニシパリズムの最大の難題といっていいと思う。Ciudad Futura(都市の未来)は、この挑戦に正面から挑んだ。その「エンジン」として、上述した社会的プロジェクトを自律的に実践することが主要な課題であり続けている。

 Ciudad Futura(都市の未来)の重要な行動規範は、「言うだけでなくやること」である。当たり前のようであるが、ここには左派勢力が往々にして理念や価値で衝突し、何かを成し遂げる前に分裂し、理想を掲げるだけで行動しなかった過去への批判があり、そこからの脱却を明らかにしている。

 さらに、政党運営の中心には「権力や力を平等に分配する」という理念(horizontalism)を置く。具体的には、党としての重要な決定を執行部ではなくオンラインを含む集会(assemblies)で決めること、選出された議員の給料を普通の労働者と同等にすることなどが実践されている。議員や政策スタッフの給与の余剰は共同のファンドに収められ、独立性と透明性の高い政治資金となっている。また、分権化を図るために、政治活動の拠点を最も小さい行政区と6つの地域センターに置いている。

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この中で、とりわけ

Ciudad Futura(都市の未来)の重要な行動規範は、「言うだけでなくやること」である。当たり前のようであるが、ここには左派勢力が往々にして理念や価値で衝突し、何かを成し遂げる前に分裂し、理想を掲げるだけで行動しなかった過去への批判があり、そこからの脱却を明らかにしている。

という部分がいいと思った。

こんなにミュニシパリズムに関する知識のある岸本さん(おそらく日本に同様の知識がある人は他にいないだろう)が、これから杉並区をどうしていくのか? まあ、現実にはいろんな力学があり、その中で実現可能なところからやっていくしかないのだろう。にしても、杉並の動きは楽しみにして注目したい。



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