『障害者介助の現場から考える生活と労働』メモ その1
全部で11章あるこの本。
その1では、全体の紹介と3章までのメモ。
まずはサブタイトルも含めた正式なタイトル
障害者介助の現場から考える生活と労働
―ささやかな「介助者学」のこころみー
出版社サイト https://www.akashi.co.jp/book/b107910.html にある内容紹介
障害者の介助に携わる介助者たちは、なぜ介助者になり、介助を続けているのか。ケアの世紀といわれる21世紀、今後ますます介護・介助を必要とする人が増え続けていくなか、20人の介助者たちが語る介助という経験のリアルと希望
これ、あまり内容紹介になってないと思う。もう少し内容がわかる内容紹介にしたらいいと思うな>明石書店
目次(明石書店のサイトのこの本のページで寺本さんの章の節の区切りに間違いがあったので訂正)
はじめに――ささやかな「介助者学」のこころみ
第1章 障害者介助の現場より――健全者・介助者(介護者)・コーディネーターとして思うこと(渡邉琢)
1 生い立ちと出会い
2 障害者介護保障のこれまでについて
3 障害者介助の現場の課題
4 障害者介護保障の今後に向けて第2章 介助者の課題――足文字を読むということ(深田耕一郎)
1 介助者の課題とは何か
2 闘争の言語としての足文字
3 足文字と介助者――その構造と学習過程
4 足文字のアンビヴァレンツ――理解を求め、拒む
5 介助者の課題第3章 介助者がしていること――知的障害のある人の自立生活をめぐって(寺本晃久)
地域生活とその介助
言葉を足す
言葉をつなぐ
「できないこと」はわからない
見守りからはみ出る
ひきずられる
「迷惑」に付きあう第4章 介助とジェンダー(瀬山紀子)
1 介助へのかかわりから
2 女性労働問題としての介助
3 介助という行為とジェンダー
4 介助から開ける世界第5章 座談会 女性と介助――からだのこと、子育てとの両立、人とのつながり
(小泉浩子/佐々木彩/段原志保/松波めぐみ/丸山育子)第6章 アディクト/ケアワーカー/アクティビストを生きる(くも)
アディクト/ケアワーカー/アクティビスト
わたしのアディクション
わたしの被暴力1
わたしの被暴力2
家族
ジェンダー/パワーゲーム
ケアワーカーになる
アクティビストになる
「サポート」の罠
「底つき」から回復の歩みへ
財産としてのトラウマ
コミュニティの病としてのアディクション
「介護」という仕事に出会えてよかった第7章 野宿と介助(小川てつオ)
第8章 インタビュー テント村と介助
(いちむらみさこ/小川てつオ/聞き手・杉田俊介)
テント村のなかのケア
野宿者と障害・女性・子ども
ホームレス文化再考
テント村からのオルタナティヴ第9章 「介助を仕事にしたい」と「仕事にしきれない」のあいだ――自立生活運動のボランティア介護者から重度訪問介護従事者になる経験(高橋慎一)
介助労働者とは何か
介助労働者になる前――重度身体障害者のボランティア介護の経験
介助労働者になる
介助の労働化に抵抗する――介助・労働・お金第10章 介助と能力主義――友達介助を再考する(杉田俊介)
単なる能力主義に陥らない介護
問いを「私たち」に切り返す
メリトクラシーとは何か
友達介助を再考してみる第11章 座談会 介助者の経験から見えること
(川口有美子/杉田俊介/瀬山紀子/山下幸子/渡邉琢)おわりに(杉田俊介)
以下、読書メーターに書いたものと付け足したもの
この本のこと、知らなくて最近知った。知り合いがたくさん書いているっていうか、過半数の筆者が知り合いだったのに。
いまも考えなければ課題がいくつか提出されているように感じた。2013年に出版された本だが、杉田さんの「おわりに」によれば企画は2009年だったとのこと。座談会などが行われたのも、知り合いの記憶によれば、2013年より前だったらしい。
渡邉琢さんの第1章から
運動はかつて、施設や親元を出よう、という側面が強く、出てからどう生きるかについては、あえてあまり問うてこなかったように思う。ある程度自立生活、地域生活が浸透してきている今、地域でどう生きていくのかあるいはだれにみとられて死んでいくのか、そうしたことも考えなくてはならない。 057頁
「どう生きるか」を自分で選ぶことができる環境が必要だという運動だったので、そこから先を運動が何か言うのはおこがましい感じもあったし、今もある。都市では子どもが地域の学校に行かない限り、多くの人が地域と ほとんどかかわらずに生きている。そういう状況を見ると「地域で生きる」ことが出来ている人がどれだけいるのか、とも思う。「どのように地域で生きるか」と問われても、その在り方は多様だというしかないようにも思う。「地域とはあまり関わらずに自由に生きたい」という選択を否定することも出来ないだろう。家族のような親密な空間で生活したいという人もいるかもしれないし、施設のような管理された空間で生きるのが楽、という人もいるかもしれない。
現在でもほとんどすべての介助、介護の現場はぎりぎりすれすれでまわっている。政策が1つ悪い方向へ向かえば、すぐに現在の生活は、障害者、介助者双方ともに破たんしていくようにも思う。
そうしたなか、私たちはどう日々を生き抜いていくか。(中略)今後「介護、介助という場面を超えて、各人どのような人間関係を形成していくのか」、あるいは「だれとともにこれからの時代を生きていこうと考えるのか」、こうした問いは障害者、介助者双方にとって、これからを生きていく上できわめて重要な問いになっていくであろう。058頁
CILの運動は特別な人間関係を持たない人も、介助者をつけて生きていける社会をめざしたはず。なぜ、それが「きわめて重要な問い」になるのだろう? 身体障害に関しては、医ケアが必要にならない限り、一定程度の制度が整い、地域にCIL(あるいはその流れをくむ事業所)がなくても、ひとり暮らしが可能な状況が作られてきた。運動の上にあるCILが支えるのではなく、利益を求める会社が障害福祉「サービス」として支える一人暮らしが可能になったという状況はある。 そんな状況だからこそ、「どんな人間関係を形成し、だれとともに生きるのか」という問いが必要なのかもしれない、とも思う。これが琢さんの文章の結語部分。とはいえ、その理解がどこまで正しいのか自信はない。もう少しちゃんとわかるように書いて欲しいと感じた。
深田さんによる第2章 介助者の課題――足文字を読むということ(深田耕一郎)
足文字には、自己と他者が折り合いをつけながらひとつの出来事を作り上げていくという、介助のエッセンスが凝縮されている。064頁
そして、081~082頁では健常者には常に管理されてきたのだが、その力関係を逆転させるために足文字は機能すると書かれている。
寺本さんによる第3章「介助者がしていること ーー知的障害のある人の自立生活をめぐって」から
この章を読んでいる最中に「知的障害のある人の自立生活について考える会」の読書会で何を読むかという話になり、この章を読むことを推奨させてもらった。10年以上前に書かれたものだが、いまでも考えさせる契機をたくさん含んでいると感じた。この最初の節(地域生活とその介助)では、この章で何を書くかの紹介があり、その結語部分には以下のように書かれている。
「できる介助者が障害者のできない部分を介助する」といった一方的な働きかけにとどまらず、障害者と介助者とのさまざまな相互作用のなかで生活が送られていく。十分に尽くせるものではないけれど、そこで何をやっているのか、何を考えているのか、書いてみたい。96頁
以下は、興味深かった部分。
・・・「利用者の意思を尊重」などということが語られているうちは、実はまだたいした問題ではなく、すでに「なめている」し「なめられている」のじゃないか、と思う。そんなに甘いもんじゃない。
もちろん尊重しなくていいわけではない。でも、尊重するって大変なことだ。そして、どこからそれをいっているのか、ということだ。「尊重してあげる」という、どこか上から目線でものごとが語られてはいないか。
尊重なんてできない、としばしば思う。
優しい人、人当たりのよい人、性格の明るい人は、普通に暮らせるしまわりも支援できて当たり前。でも気難しい人、問題を起こす人は、だから生活を制限するのが正当化されたり、仕方がない、支援できないとなりがちだ。
しかし尊重するとは、それらもひっくるめて、尊重するということだと思う。
私も腹がたつことがある。一緒にいられなくて遠ざかることもある。私の価値観や感情がかき乱される。ときにぎりぎりのせめぎ合いのなかで生活が進んでいく。
もっとも、いつもそんな苦しいことばかりではないけれど、介助者は引きずり回されて右往左往するくらいでちょうどいいのだと思う。もっと引きずられるといい。そうした事態がよいことだとも思う。堂々と、自信を持って、積極的に、振り回されたりひきずられたりするべきだ。
ところでそんな振り回される介助者は、仕事ができない介助者のように思われるかもしれない。
介助者は何かができて当たり前で、障害者の障害者のできないところを補う人だというイメージがあると思う。介助者が仕事やサービスとして存在するようになってからは、お金をもらっているのだからと、特にそう思われるだろう。
それでも、介助者は出来ないくらいがちょうどいいのかもしれない。そう直感的には考えている。もちろん、できないことばかりでも生活が回っていかない。(略)仕事として介助者がそこにいるならば、ある水準以上にできる必要がある(できたほうがいい)とも思う。(略) けれども同時に、介助者が何かができることによって、別の何かが覆い隠されてしまうような気がする。
113-115頁
なかなか微妙な話ではある。大切なのはいっしょに生活を作っていくということは理解できる。しかし、同時に何人ものヘルパーがかかわる「自立生活」での暮らしで本人が気持ちよく暮らすために、という視点で考えたとき、ほんとうにそれでいいのかなという思いも残る。
その疑問に一定の答えになっているのが、このあとに出てくる。そこで寺本さんは以下のように書く。
何かができることが、気づかないうちに相手をコントロールしていることにつながっていく契機を抱え込んでいないだろうか
とはいえ、寺本さんが悩んでいないわけではない。この章の結語としてこのように書かれている。
状況や関係性によっては、結果的に教えたり制止したりすることはあるし、まずは止めなければ命の危険にさらされる場面もある。(略)けれどもこのあたり、私は悩ましくもある。そこを目指すこと、つまり社会への「同化」を、私が求める。世間並みになるための努力を障害者側に押しつけ、社会の他の人々の代わりに、私が執行者になってしまう。
一方で、障害のあるなしにかかわらず、ある程度のルールがあるのだから、と言われることがある。障害者だからわからないから、その例外に置かれることは良くないのだと。それを求めないことは支援の放棄なのかもしれない。
けれども常識的に対処すれば、彼が割を食うしかない。事が起こらないように。さまざまなことを制限する方向へと。そしてついには追い出される(追い出すことに私も加担させられる、加担する)。
そんなつまらないことをしたいために介助をやってるのではない。
しかし、結果が伴わなければ、努力は常に不十分なものと見なされる。ないものとされてしまう。
なんとか両立する言葉はないのだろうか。できうるならば対立するのではなく、同じ方向で見ていけるような、そういう言葉をもちたい。と同時に、両立なんてできるのだろうか、とも思う。
このように両立させる言葉は見つからないまま、この章は終わっている。基本は本人の意向を複数の支援者が類推して できるだけ自由に、ということで間違いない。しかし、制止が必要な場面はないわけではない。当事者を中心とした対話(言葉を用いない対話を含めて)をできるだけていねいに重ねるなかで、そのバランスをどこでとるのかということを探るしかないのだと思う。そのような対話が必要だということが明確になることが、重い知的障害の人の支援が 身体障害の人の支援からは始まった自立生活運動からの「離陸の部分」と言えるかもしれないと思った。
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