友野剛行さんのいう大切なのは「空気感」という話で感じたこと

「知的障害のある人の自立生活について考える会」第18回ONLINEサロン
【テーマ:地域で暮らし続けることをあきらめない」 ―どんな人も自分の家で暮らす
(2024年10月10日に開催)
の感想を書いたので、忘れないように記録。記録を書いた後に、少し追記も。
以下は開催趣旨、最後に感想。

開催趣旨など

第18回ONLINEサロン

「地域で暮らし続けることをあきらめない」

―どんな人も自分の家で暮らすー

強度行動障害や自閉症などのある人たちの地域での暮らしを日本各地で支え続けてきた友野さん。

時には自らの本拠地船橋に彼らを受け入れて、一人暮らしやグループホームでの生活に導く。

その活動の実際となぜその実践をされるのか、そこへ至る経緯などお話しいただき、これからの支援のあり方について考えていきたいと思います。

話題提供  友野 剛行(ともの たけゆき)さん

愛知県春日井市出身55歳。船橋市在住。

①株式会社ふくしねっと工房代表取締役

就労移行支援、就労継続支援、生活介護、グループホーム、放課後等デイサービス、相談支援、30箇所以上の事業所を持ち、強度行動障害、知的重度障害を持つ方などが、全国のその地域で受け入れ先がなくなり、最後の砦として千葉に来たという人も多い。

②株式会社あんど代表取締役

全国居住支援法人協議会の研修委員として、全国で研修会を開催。

全国で数多くの居住支援法人、福祉団体との事業提携を行いながら、全国で入居支援・生活支援を行っている、福祉と不動産が本格コラボした居住支援法人。

千葉県居住支援法人協議会代表理事

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~~以下、参加者アンケート~~

「空気感」の大切さ、その通りだと思いました。その場所の「空気感」を形成するために、まず前提として、他者を別の意思を持った他者としてリスペクトするということがあるように思います。メンバーに対しても、他のスタッフに対しても。そのうえで、フラットに意見を言いあえる関係性。そのようなことができるのは、やはり経営者の意向が強く影響するのだろう、とも感じました。そんな場所は、人と人との風通しがよく、べてるの家の向谷地さんがいうところの「場の力」が形成されているのだと思います。「場の力」があるところで、人は元気を回復できそうな気がします。これは森田ゆりさんがいうところのエンパワメントともつながると思いました。彼女はエンパワメントを以下のように定義します。
エンパワメントとはまずもって一人ひとりが自分の大切さ、かけがえのなさを信じる自己尊重から始まる、自己尊重の心は自分一人で持とうと意識して持てるものではない。まわりにあるがままのすばらしさを認めてくれる人が必要だ。無条件で自分を受け入れ、愛してくれる人が。
そのことと障害の社会モデルはつながっているようにも思います。以前、以下のように書きました。

障害者が障害ゆえに生きにくさを感じているということがあるのなら、まず変らなければならないのは社会のほう…、自分はそのように言っていいんだと気づくプロセスがエンパワメントだというふうにも言える。
・・・
 同時に…エンパワメントのために社会モデルが必要であり、また、社会モデルの出自でありまた帰結でもある社会を変革していくというアプローチのためにもエンパワメントは必要になってくる。その両方は相互に必要とされていて、それらをダイナミックにかみあわせていくことが必要なんじゃないか…

さらに、それをムーミンの物語から見ていくこともできると最近、思ったのでした。
2024年09月19日
「ムーミン」の物語が教えてくれること
https://tu-ta.seesaa.net/article/504892945.html

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感想を送った後の追記
いま、思い出したのだが、つい先日書いたの以下
『障害者介助の現場から考える生活と労働』メモ その1

ここでも紹介したが、この本の第3章で寺本晃久さんが「介助者がしていること ーー知的障害のある人の自立生活をめぐって」という文章を書いていて、そこに以下のようなくだりがある。

・・「利用者の意思を尊重」などということが語られているうちは、実はまだたいした問題ではなく、すでに「なめている」し「なめられている」のじゃないか、と思う。そんなに甘いもんじゃない。

 もちろん尊重しなくていいわけではない。でも、尊重するって大変なことだ。そして、どこからそれをいっているのか、ということだ。「尊重してあげる」という、どこか上から目線でものごとが語られてはいないか。 

 尊重なんてできない、としばしば思う。

 優しい人、人当たりのよい人、性格の明るい人は、普通に暮らせるしまわりも支援できて当たり前。でも気難しい人、問題を起こす人は、だから生活を制限するのが正当化されたり、仕方がない、支援できないとなりがちだ。

 しかし尊重するとは、それらもひっくるめて、尊重するということだと思う。

 私も腹がたつことがある。一緒にいられなくて遠ざかることもある。私の価値観や感情がかき乱される。ときにぎりぎりのせめぎ合いのなかで生活が進んでいく。

そんなリスペクトができているかどうか、ときどき自分に問うことが必要なんだと思う。そして、当事者へのリスペクトと別の意味で難しいのが支援者間でのリスペクトではないか。雇う側と雇われる側が対等に意見を出し合える空気を作れるかどうか、雇われているもの同士が意見の違いを含めて率直に意見を出し合えるかどうか、そこはある意味、経営側の人間の力量や人間としての力が問われる部分なのかもしれない。

ともあれ、そういう「空気感」の中で、当事者のパニックが減ったり、元気になったりするし、雇用が継続し定着したりもするのだろうと思ったのだった。

~~追記~~
行動障害があって、噛まれたり、殴られたりしながらも働き続けるモチベーションをどう維持しているのか、気になる。
スタッフのモチベーションの維持は、一定以上の規模になると、難しくなりそう。




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