『障害者介助の現場から考える生活と労働』メモ その2

『障害者介助の現場から考える生活と労働』メモその1
https://tu-ta.seesaa.net/article/505104134.html
続き


第4章 介助とジェンダー(瀬山紀子)

この章の最終節のタイトルが 「4 介助から開ける世界」となっているのだが、どんな世界が開けたのか、この節で読み取ることが出来なかった。


第5章 座談会 女性と介助

障害者のプライバシーに配慮しつつ、しかし、経験をオープンに交流したい、難しいかもしれないが方法はあるはず、という佐々木さんの意見、それが必要な場面はあるかもしれないと思った。


第7章 野宿と介助(小川てつオ)

小川さんはここで野宿からアパートでの「地域生活」に移行した人の孤立や依存症の進行について書いている(221頁)。買い物に行くことはあっても、それ以外に、そこに地域生活はない。テント村では様々なレベルでの地域生活がある。それを小川さんはこんな風に表現する。

だから、皮肉なことに、地域生活に移行したのではなく、地域生活から移行する、ことになった。そこには、一般人と同じような生活をしているという安心感はあるが、それ以上のものはそれほどたくさんはない。

もしかしたら、障害者の地域生活でも、暮らし方によっては似た話になるかもしれないと思った。同時に地域生活はテント村にはあるが、テント村以外の野宿者にたくさんあるかと聞かれたら、「それほどたくさんはない」というしかないかも。


第8章 インタビュー テント村と介助(いちむらみさこ/小川てつオ/聞き手・杉田俊介)

この章で杉田さんがいう以下に注目した。

杉田さん 障害者の場合、親や介助者などの他人から干渉される状態が当たり前だった。・・・。ゆえにひとり暮らしベースの自立生活モデルが大事にされた。でも別にコミュニティ形成そのものは否定しない。1人の空間を大事にしつつ、コミュニティともつながる。そういう両面性ですね。そもそもCILはコミュニティ形成運動であり、障害文化形成運動でした。237頁

確かにこのような側面があったのだと思う。しかし、現状で、どれだけのCILや系列の事業所が、それは「コミュニティ形成運動であり、障害文化形成運動」だったということをどれだけ意識できているだろうか?

また、まったく別の問題だが、以下の視点は野宿者支援をする中で、感じてきたことでもあり、それを明文化してもらったような気がした。

小川さん ホームレスの人が、生活保護を受けてひとり暮らしをするけど、逆に孤独になってしまう、というケースは結構ある。そこは本当に難しいところ。今のテント村で十分だと思わないけど、・・・「テント村に帰りたい」という人たちが数多くいるのも事実。237頁

ここで小川さんが悩みながら語っているホームレスをやめてアパートで暮らしてからの孤独の問題、ほんとうに悩ましいと思う。


第9章 「介助を仕事にしたい」と「仕事にしきれない」のあいだ――自立生活運動のボランティア介護者から重度訪問介護従事者になる経験(高橋慎一)

「介助労働者とは何か」という節の冒頭で、高橋さんはボランティアによる介護で生活しているAさんとの対話を掲載した後で、以下のように書く。

矛盾した感覚がある。介助をきちんとした保障のある仕事にしたいと思う。その一方で、介助を仕事にしてよいのだろうかという抵抗感がある。この矛盾した感覚は介助という営みの本質にかかわっているような気がしてならない。247頁


この抵抗感は、介助者が障害者とともにあることの核心に響いているのではないか、という直感がある。どれだけの普遍性があるかはわからないけれども、介助を仕事とする当事者として考えてみたい。249頁

ここに書かれているのは、仕事であり、そこでお金を得ているが、その行為自体の価値や目的もある、というような、どこにでもある話とどのように違うのか、よくわからなかった。

また、「介助労働者になる」という節で、「障害者と健常者が衝突したり、議論し合ったり、生活をともにしたりする部分は、売り買いの対象にはな得ないと思えたし、事実そのようなものは労使関係には組み込めない」(263頁)という記述があり、確かにそういう側面もあるのだが、そこは労働者協同組合的に考えられないか、とも思った。

また、次の「介助の労働化に抵抗する」という節で、「雇用労働が障害者を否定する力をもっていようと」276頁(それが必要)というような記述があるが、「雇用労働が障害者を否定する力」をほんとうに持つだろうか? そこにも疑問が残った。

「介助の労働化に抵抗する」という節では以下のように書かれている。

介助労働を続ける……

 介助にはお金 (貨幣)で売り買いできないものがある。また雇用労働には能力主義という障害者を否定する力が内在しており、介助労働も例外ではない。しかし、売り買いできないものがあろうと、雇用労働が障害者を否定する力をもっていようと、介助労働が売り買いされなければ介護保障は実現できない。また、介助が仕事として成立したとしても、現に売り買いの対象にな らないもの、売り買いしてはならないものが介助には含まれて続けており、それが存在しないと介助労働は凄惨なものになってしまうように感じる。もちろん、その凄惨さを我慢するだけの賃金 保障をしたら、介護労働力は確保されるのかもしれない。

 貨幣による介護保障の課題は、障害者が自由を奪われることなく介助を使って地域生活することであるように思う。そのためには、お金を(も)理由として仕事をする安定した介助者を確保することが有効と思われる瞬間がたくさんある。・・274頁

そのうえで、次の頁ではこんな風に書かれている。

 おそらくは多くの介助者が、介助をたんなる仕事と割り切ったサービス提供と、差別との向き合いもふくむ障害者との関係性との間を、揺れ動いている。障害者の生活に入り込めば入り込む ほど、しんどくなってお金で割り切る機会も増えるのかもしれないし、またお金で割り切ることの難しさも増していくのかもしれない。これらは貨幣による介護保障システムを条件とする感情 のあり方に思えてならない。275頁 

 はたして、本当に「多くの介助者が、介助をたんなる仕事と割り切ったサービス提供と、差別との向き合いもふくむ障害者との関係性との間を、揺れ動いている」だろうか? ぼくは「多くの介助者」は介助が日常的な仕事になればなるほど、自然に介助という仕事をこなし、その結果として賃金を得ているだけじゃないかと思う。ただルーティンとして「自然に介助という仕事をこなす」なかで、自分の介助労働について、現状でいいのかどうか問うことは必要だろう。それを1人でやるのは難しいし、危険なので、その人に関わる3人以上の複数で行うことが求められていると思う。

そして、この章の著者は最後に横塚さんの労働に関する考え方を引用する。おむつをかえるために腰を上げるのも労働ではないか、そのように労働に関する概念を変えなくちゃ、というような。ぼくもそう思う。


第10章 介助と能力主義――友達介助を再考する(杉田俊介)

 この章の最初に杉田さんは「単なる能力主義に陥らない介護」という節を置く。このフレーズは前の章を書いた高橋さんが書いたもの。そこで引用されている彼の文章を若干省略して引用

「私は、介護労働者の賃金と就労環境を向上させると同時に、単なる能力主義に陥らない介護を目指しています。この行き過ぎた能力主義が、派遣切りを生み出し、障害者を否定し、人から自信を奪って汲々とさせ、外国人を排斥させているように思えるからです。(中略)この能力主義の論理を打つことが、外国人、女性、失業者、介護労働者が、日本人男性正規雇用労働者と対峙し、協同の道を探していくキーポイントになるのではないか、と思えてなりません」281頁(強調は引用者)

 この文章に関して、杉田さんは、「私たち介助者が日々の介助をしながらどこか違和感を感じていながら、うまく言葉としていえないできたことがらを、はっきりと言い当てている」と書く。ぼくは「そうかなぁ」という思いを抱く。能力主義の問題は確かにあると思うが、それを「協同の道を探していくキーポイント」としてまとめてしまっていいのかと直感的に思うのだった。そして「単なる能力主義に陥らない介護」って何だろうと思う。ここに書かれていることは、この本の3章で寺本さんが書いているように「能力が必要ないわけではない。しかし、能力に頼りすぎると見失うものがある」ということなのだと思うが、もしかしたらそれ以上のことを言っているのかもしれない。杉田さんが何を指して、この表現を使っているのか知りたいと思った。最後の節で再びこの問いはでてくる。

問いを「私たち」に切り返すという節で杉田さんは 

1970年代の障害者運動が提起した「そこにある問題への問いを「鋭角に切り返す」ことが必要と主張する。そこで杉田さんが紹介するのが高杉慎吾の『障害者解放と労働運動』という本。たとえば、ここで例として挙げられている大久保製壜闘争が示しているのは、障害者の職場における労働問題が公害問題にもリンクし、障害を再生産する資本主義の問題である。しかし、それは健全者も障害者と同じ犠牲者だということではなく、「健全者問題」なのだ、と。生産点で障害者を排除というか差別することで、健全者が「自らの生存基盤を喪失」していくという「産業合理化の原点」、これが鋭角の切り返しとされる。

メリトクラシーとは何かという節では能力主義をメリトクラシーとしてしまうのだが、『能力2040』
https://tu-ta.seesaa.net/article/504462743.html 参照)で市野川さんが書いてたように、エイブリズムという視点も必要だろうと思った。 

この章の最後におかれるのが友達介助を再考してみるという節。ここで改めて「単なる能力主義に陥らない介護」とは何かが問われる。そこで杉田さんは以下のように書く

キーポイントは、介助者と障害者の社会的な「関係」そのものではないか。そこをみないかぎり、どんなに「単なる能力主義」を回避し拒絶しようとしても、私たちはその努力もろとも能力主義の罠に永久に絡めとられていうのではないか。302頁

ここに続けて、【ケアの有償化・市場化と同時に、私たちにはやはり「ケアの倫理」が必要だ】という堀田義太郎さんの文章が引用される。有償化・市場化となると、どうしても第三者・介助者・当事者は他者の手段になってしまうからだという。ここで第三者が入る理由がよくわからないが、そこには言及されない。そして、杉田さんは問題はその【「倫理」なるものの内実をどこに求めるか、だ】と続ける。そこから「友達介助論」につながる。大地震の時に助けに来てくれるのは、有償の介助者でも、無償のボランティアでもなく友達だ、という。それに続いて、この友達介助論が個人の人柄などに規定されるという理由で否定されたことは、当然という。

 そして、その後の自立生活運動に言及され、その限界が現在言われているが、それが80年代以降に【端的に「成功」】したが、予算不足・介助者不足で、新たな局面に入り、新たな問題が生じ、「考え直すべき何かがある」、それを素朴に言えば、として以下のように続ける。

たとえば、私は、日々の仕事をしながら、重度の知的障害や自閉症の人たちが、それぞれの潜在能力を普通に顕在化させつつ人生をまっとうしていく、というヴィジョンを、なかなか見出せない。304頁

地域で当たり前に暮らすとはどういうことかと自問し、こんな風に続く。

 自立生活運動の方法論を拡張する「だけ」では駄目で、この社会が素朴だが決定的な関係の地殻変動へ至らないと、やはり難しいのではないか。

 多くの介助者がそんな違和感をどこかで感じてはいないか。

 彼らと一緒にぼちぼちと一生を生きていくような、しかし自分の人生を滅私奉公するのではなく、自分も人生をまっとうし、彼らもまっとうしていく、そうした関係を自然に生きられるような、そうした未来がどこかにあるのでなければ。

 友として共に生きていくこと、それを支える友達介助――。

 その後、杉田さんは市野川さんの介助経験を書いた文章に言及し、それは「友」としかいいようがない感覚ではないか、と書く。

 その少し後で、【「友」の意味を社会化する】という話につなげる。

 さらに横塚さんのボランティアは権力に密着してその『お先棒』をかつぐのではなく、時には政治・権力と戦う姿勢がなければなりません」という文章を引用する。そして、章の終わり近くで、杉田さんは「友」という概念自体の書き換えを要請する。そして、そこに能力主義を「かろうじて」超えていく可能性を見る。


第11章 座談会 介助者の経験から見えること(川口有美子/杉田俊介/瀬山紀子/山下幸子/渡邉琢)

杉田さん以外は何度も話したことがある人たちの座談会でもある。

この座談会のいちばん最後あたりで渡邉さんが以下のようにいう。

 今のあり方として、消費主義的なあり方というのだと、働く人をサービス労働者として、従業員として監視する、あるいは逆にサービスのマニュアル化を通して障害者を監視する。そういう感じになるおそれがあって、さっきから出ている専門性といったところでも、・・・上意下達の監視システム、支配システムという側面もあると思うし。そうではない空間がありうるっていうことを、ここからどう作ってつくっていけるのかというのが、僕にとっては日々の課題です。

これを受けて、瀬山さんが応える。

・・・これからどう、違うものを提示していけるか、そのとき、自分の中だけで考えていくというよりは、ほかとどうつながるか、つながって考えていくかというのを考えられる場所が、CILなり事業所なりじゃないかという気はしています。(略)。そこから、それ以外の人たちと、もうちょっとつながっていくことができるといいなって思っています。

 この「違うものを提示していく」という作業がなかなか進んでいないように思う。この本から10年、ぼくは重度知的障害者の自立生活を広げていくということの中に、違うものを見ていく可能性があるのではないかと、ぼんやり考えている。

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