『今さらだけど「人新世」って?』メモ

『今さらだけど「人新世」って?
  知っておくべき地球史とヒトの大転換点

古沢広祐 著 2024年3月発行 WAVE出版

以下、出版社のサイト
https://www.wave-publishers.co.jp/books/9784866214306/
から


目次

第Ⅰ部 プロローグ ――地球史とヒトの出現をたどる

第1章 「人新世」は環境危機の時代?
1 人々が「人新世」に魅了されるのはなぜか
2 「人新世」は文化や芸術の世界をも魅了
3 環境の危機が深刻化する「人新世」
4 「人新世」の始まりはいつか
5 私たちは今、地球史の大転換期に立ち会っている

第2章 地球史スケールの気候変動を乗り越えた人類
1 気候変動は過去にもあった
2 地球史の大異変、生物の大量絶滅、何が起きているのか
3 1年間の地球史カレンダー
4 人類の誕生、絶滅危機と気候変動を前にして
5 ひ弱な新人(ホモ・サピエンス)だけが生き残った

第3章 多くの人類が消えてヒトだけが繁栄した理由
1 ホモ・サピエンスの進化
2 何がヒトの進化を加速させたか 
3 生物のジーン進化とミーム進化
4 「家畜化」でどう変わるのか
5 「家畜化症候群」と幼形成熟、幼形進化
6 ヒトの自己家畜化現象
7 サピエント・パラドクスの答え

第Ⅱ部 展開編 ――人間拡張のゆくえ

第4章 文明・文化によってヒトから人間へ
1 脳の能力の拡張とは?
2 文化がヒトを進化させた?
3 「私」の中に刷り込まれているヒトの歴史・文化
4 危うい土台の上に成り立つ人間社会
5 現代社会を生きる困難さとSociety 5.0

第5章 ヒトからポストヒューマンへ
1 近未来からの人間への問いかけ
2 道具はヒトをどう変えるか
3 人形が語りかけるもの
4 能力の拡張は心にどう影響するか
5 世界の拡張とポストヒューマンのゆくえ
6 脱人間化の行く先 ――テクニウム、クトゥルー新世
7 未来を語る一方で直視すべき現実
8 人間が操られる新・家畜化社会?

第6章 「人新世」の落とし穴?
1 ホモ・サピエンスの行く先
2 未来に出現する「ホモ・デウス」とは?
3 不確定な未来を予測する手がかり
4 サピエンス減少という衝撃
5 サピエンス減少前に地球大破局(ジオ・カタストロフィ)がくる?
6 「資本」とテクノロジーの民主化
7 「人新世」の本当のリスク
8 遠未来にサピエンスが迎える3つの展開

第Ⅲ部 エピローグ ――「人新世」の未来

~~以下、読書メモ~~

 読みたくて図書館で借りたが、読み終えずに返却。つまみ食い的に読んだのが、【第6章「人新世」の落とし穴?】4節【サピエンス減少という衝撃】5節【サピエンス減少前に地球大破局がくる?】。(そして、その後の残り少ない部分も流し読み。) ここ(6章4~5節)で古沢さんは人口減少を扱った書籍を紹介し、減少のペースについてはいくつかの議論があるが、減少するのは間違いない。しかし、その減少が気候変動に伴う地球大破局(ジオ・カタストロフィ)には間にあわないような現状があるという。さらにエマニュエル・ドットは第三次世界大戦が引き起こされることも予測しているとのこと。

その世界大戦の話の前に書いてあるのが、世界情勢分析。以下、引用。

中国やロシアといった権威主義的な国家群と、欧米(いわゆる西側陣営)のように自由・デモクラシーを掲げる国々との対立がより先鋭化していきそうです。その自由や民主主義自体にも、内外で揺らぎが生じ(略)。さらに第三極としてグローバルサウスと呼ばれる(略)勢力が台頭しており、複雑な多極化時代に突入(・。略・・)地政・地経学的なリスクが高まっているのです。(147頁)

欧米や日本などのいわゆる先進工業国群と中国・ロシアの対立は確かにあるが、欧米や日本などのいわゆる先進工業国群のことを「自由・デモクラシーを掲げる国々」と言われると、違和感が残る。確かに現状で掲げているのは事実だが、それらの国々をまとめるのに、もっと相応しい言葉がありそうな気がするが、確かにフィットする名称がなかなか思い当たらない。

この5節の結語には以下(ちょっと書き足して要約・強調は引用者)。

(地球大破局(ジオ・カタストロフィ)の懸念)「(その)処方箋になるのは、人間同士の対立や抗争をどう回避していくか。目前の地球的破局の認識を共有し、国益や利害の対立を克服して、地球が一丸となる体制を人類が築けるかどうか。ポリクライシス(複合危機)の連鎖(それが地球大破局)を招くのか、それとも環境危機を変化のチャンスとして協力体制を築けるのか、人類の選択が鍵を握る148頁

これ、地球レベルですごく大切な指摘だと思った。

この認識こそ、いま、政治に求められる認識だと思うが、多くの政治家にこの認識があるように思えない。

そんな中で、いまだにGDPベースの経済指標で経済成長を追い求めるとか、あり得ないと思うのだが、すべての国政政党が「成長」を信奉し、「成長」が必要だと言い続けるこの状況をどこから変えていくことができるだろう。


そして、第6節【「資本」とテクノロジーの民主化】で古沢さんはこんな風に書きます。

人類の繁栄を推進してきた経済システム、いわゆる資本主義経済が、悪循環に陥ったり破局を迎えたりしないかたちでの大変革を、私たちが実現できるかが問われています。149頁

 ここで明示的に書かれているわけではないが、やはり前節の流れで読めば、地球大破局(ジオ・カタストロフィ)を避けるために、それが必要だということだと思う。

 しかし、それは本当に可能なのか、「資本主義」という仕組みそのものを転換しなければ、不可能なのではないか、「資本主義」という仕組み自体を変えない限り、それはコントロール不能で破局に向かうような仕組みなのではないかと思うのだが、どうなのだろう。

 ここに続けて、古沢さんは以下のように書く。


 注目したいのは、人間社会のメガマシン化と経済発展を促進してきた「資本」の働きです。経済は、フローのお金(所得)ばかりに目が向きがちですが、蓄積し、拡大増殖する「資本」こそが、人類社会を発展させてきたのです(資本新世の視点)。

 資本主義経済のコントロールには、従来の貿易や税・財政政策の影響力以上に、金融や投資の力が大きくなっています。その点では、環境や社会に配慮し、企業統治(ガバナンス)が適切な会社に投資しようというESG(環境、社会、ガバナンス)投資や、経済面以上に社会的な意義・貢献を重視する社会的インパクト投資が促進しつつあります。とはいえ、貧富の格差の歪みは驚くほど拡大しているというのが実情です。

 この矛盾の克服には、マクロ的には資本の蓄積と投資による拡大増殖メカニズムをいかに民主的にコントロールし、ミクロ的には労働や仕事のあり方を、参加意識が実感できる形態(いわゆる社会連帯経済)に、主体的に調整しなおすことが最大の課題です。149~150頁

 ぼくは、近代や現代の中心的な価値軸が、生産力・効率といった方向に傾きすぎているのが大きな問題だと思う。そっちに行き過ぎた価値軸を、「いのち」とか「ケア」とかいう方向に転換していくことができるのかどうか、ここで古沢さんがいうところの「社会連帯経済」の方向に変えていくことができるのかどうか、「資本主義」の仕組みの下でそれが可能なのかどうかが問われている。

 そこで重要なのが、ほぼ20世紀いっぱいを通して行われた「社会主義」国家の失敗をどう見ていくか、ということだと思う。あの失敗を繰り返したいと思う人間はほぼいないはず。なぜそれが駄目で、そこでは自由が抑圧され、経済的になりいかなくなったのか、そのことの反省に立った「資本主義」を超える仕組みの構想が必要なのではないかと思う。

それが間にあって、実現するかどうかが、大きな問題というのは古沢さんの問題意識と同様だ。







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