意思決定支援の研修で感じたこと
以下、案内
受講者 各位
この度は、令和6年度品川福祉カレッジ「理論と演習で学ぶ意思決定支援」研修にお申込をいただき、誠にありがとうございました。
当日のご案内をお送りいたしますので、ご確認のうえご参加ください。
1.研修名:令和6年度 品川福祉カレッジ
「理論と演習で学ぶ意思決定支援」
~本人の意思を尊重することを通じて地域共生社会を実現していくために~2.日時:令和6年11月13日(水)13:30~16:30(13:00開場)
3.実施方法:集合対面
4.会場:品川介護福祉専門学校 5階 特別講義室
(品川区西品川1-28-3 品川中小企業センター内)5.事前準備
当日の演習で使用するため、ご自身が「意思決定」に関わった、もしくはこれから関わるケースの事例概要、家族関係、関わった経過、意思決定が必要な場面を1つ用意してきてください。
色々な場面があると思いますが、できる限り具体的な場面(食事メニュー、レクリエーション、洋服、買物、外出、住まい、職業、だれと暮らすか、結婚等の選択)を用意してもらえればと思います。
(以下略)
ぼくはGHに暮らすAさんが「食べたいものは何か」という場面を考えた。
以下、「本日の講座は満足のいく内容でしたか?」という選択肢の理由として書いたことを記録として残しておきます。
~~~~
記録をしていく中で、本人がどうしたいのかを見ていくことに役立つということに気づくことが出来ました。しかし、それを意思決定支援と呼んでいいのかどうかわかりません。「精神看護 2019年1月号 特集 オープンダイアローグと中動態の世界」に掲載された「中動態/意志/責任をめぐって」(講演録)で國分功一郎さんは「意思」という概念にとても懐疑的です。
「意識はあるが、意思ってないんじゃないか」と國分さんは言うのですが、それでも意思はあると、ぼくは思います。彼の言う意思と意識の違いがもう一つ理解できていないのですが・・・。
彼が繰り返し書いているように、純粋な意思など どこにもありません。どこまでが自分の意思で、どこからが環境の中で思わされていることか、この境目は確かにあいまいです。しかし、環境の中で「~がしたい」「こうありたい」という気持ちは形成されます。これをぼくは意思と呼んでもいいんじゃないかと思うのです。しかし、國分さんはここで、まだ結論的に何か言えるというような話ではないとしながら、欲望と意思をはっきり区別し、あくまで、意思については懐疑的です。
そして、意思決定支援に関しては以下のように言っています。
僕はむしろ「欲望形成の支援」という言い方をしたらどうだろうか、欲望形成を支援するような実践を考えたらどうだろうか、と思っています。「意思」というこのとても冷たく響く言葉は切断を名指ししていますから瞬間的です。それに対して「欲望」は過程であり、また、人の心の中で働いている力であるという意味で、どこか ”熱い”過程です。
欲望を意識するのはとても難しいことです。自分のことだからこそわからない。だから周囲に手助けしてもらったり、一緒に考えたり、話し合ったりしながら、自分の欲望に気付いていく必要がある。それを支援するというのならとてもいいと思うんです。
そうであるなら、「欲望形成支援」ではなく、「欲望認識支援」とか「欲望気付き支援」といったほうが正確なのではないかとと、ぼくは思うのです。自分のなかにある欲望に気づく、正しいとか悪いとかではなく、自分の中にそれがあることに気づくこと、まず、そのことが大切だという話で、それを行うかどうか、そこに國分さんが嫌いな「意思」というのが入り込む余地があると言えるのかもしれません。
心のなかには実現させないほうがいい欲望も渦巻いています(と、一般論として言わせてもらいます(汗))。だから、欲望を形成する支援ではなく、発生してしまった欲望と向き合うこと、あるいは欲望が発生しないことへの気づき、などを支援することが大切なのかもしれない、と思うのでした。
自閉傾向のある人とつきあって感じるのは、欲望を否定されることに対する憤りや怒りです。まず、欲望があることに当事者と支援者が気づくこと、支援者もその欲望を頭から否定するのではなく、その形成過程も含めて想像し気づくこと、意思決定を支援するというよりも、重要なのはそちらではないかと感じるのです。
それを「意思決定支援」と呼ぶかどうかは別として、言葉で表出することが苦手な人の「***したい」という気持ちにその人との関係性の中で相互に気づくこと、それを複数の人で確認することを重視したい、今日、教えてもらった記録の方法は、そのために役に立つかもしれないと感じたのでした。
また、「***したい」という気持ちにはわかるんだけど、それをしちゃうと結果として、こんなにまずいことが起きてしまう、他の誰かを傷つけてしまうということを理解してもらうというか、本人自身に気づいてもらうことが大切だと思いました。
そういう意味では、必要なのは、「意思決定支援」とか「支援された意思決定」といういうよりも、そのとき、その人がしたいことに気づくプロセスに同伴し、気づきをできるだけ、でも出すぎないように支えることではないかと思うのでした。
参照した読書メモなど
2021年06月16日
欲望形成支援についての疑問、必要なのは「欲望気付き支援」じゃないかと思うのだけど。
https://tu-ta.seesaa.net/article/202106article_3.html
2021年11月25日
「意思決定支援」じゃなくて「欲望形成支援」??
https://tu-ta.seesaa.net/article/202111article_4.html
この記事へのコメント