「支援 vol.4」メモ(Facebookのnoteからの古文書)
https://takoratta.hatenablog.com/entry/2022/04/11/194949
を開いたら、
いくつか出てきた。このサイトに、この機能もいつまで使えるかわからないとあるので、こっちに移す。
最初にあったのが「支援 vol.4」メモ。最終更新は2021年3月15日 とあるが、書いたのはずっと前のはず。この雑誌は「販売開始日: 2014/05/31」なので、それ以降の2014年に書いたのだと思う。
~~以下、書きかけのメモ~~
気になった記事がいくつかあったのだけど、メモを書いてなかった。
HP
http://www.seikatsushoin.com/bk/125%20shien04.html
から
第4号の特集は、「支援で食べていく」。支援を「労働」という枠組みにあてはめて考えてしまうだけでは、見えなくなるものがあります。支援を業とする、そのことを所与の前提として、そのために何が必要かと論を立てていく前に、支援の内奥をつぶさに見ること、感じ、考えることから始めていこうとする、本誌ならではの特集となっています。他に、すぎむらなおみ×倉本智明のトークセッション「教育の中の支援、支援の中の教育」、花井十伍へのロングインタビュー「薬害エイズの被害者による当事者支援」など。
【目次】
特集 支援で食べていく
生きて稼ぐ、と〈支援〉をめぐる試論 岡部耕典
弱さという生業──「生倫理」序説 杉田俊介
新田勲との出会い──地域自立生活を実現し、
制度の言葉に魂を吹き込んだ「足文字」の真実 大坪寧樹
ケア・支援の“むき出し”──ケア・支援する人の
“こころのパンツ”の脱ぎっぷりと暮らしぶり 出口泰靖
割り切れないままに──「支援で食べていく」を
どう考えるか? 三井さよ
日本で初めてEPA外国人介護福祉士候補者を
受入れた施設現場の実態と将来展望 塚田典子
介護を仕事とするための要件について──介護資格制度を
考える 山下幸子
トークセッション
教育の中の支援、支援の中の教育
すぎむらなおみ×倉本智明 (司会/星加良司・土屋葉)
ロングインタビュー
薬HIV被害者の当事者性とは何か?──花井十伍に聞く(聞き手/井口高志・中塚朋子)
エッセイ
介助に無関心でいられない私 後藤吉彦
「回復の脚本」を書くのは誰か? 平井秀幸
あたしたちは社会のゴミ 上岡陽江
ソーシャルワーカーであり障害当事者であること 河口尚子
ひきこもり支援支援 勝山実
「その人」として出会う
──学生をボランティアにつなげるということ 三井さよ
〈分かつこと〉はない。わたしも、「当事者」だから。
──「3つの会@web」の当事者同士の「語り合い」
から考える 出口泰靖
「安心」と「心配」の間のやや難しい距離
──バルネラブルな知識の交換のために(3) 飯野由里子
支援の現場を訪ねて
1 しぶたね(Sibling Supportたねまきプロジェクト)(大阪市) 山下幸子
2 エフ・エーさろん(大阪市) 三井さよ
3 すまいる(茨木市) 三井さよ
コラム 支援の周辺
1 「みんなの問題」について考える 井口高志
2 楽に生きるための距離 星加良司
3 生と死のゆるやかな境目 土屋葉
書評
1 人はなぜ介護者になるのか
(『福祉と贈与──全身性障害者・新田勲と介護者たち』
深田耕一郎著) 堀田義太郎
2「私的」な経験を切り捨てない社会モデルに向けて
(『軽度障害の社会学──「異化&統合」をめざして』
秋風千惠著) 西倉実季
3 「スクールカースト」って、こどもだけ!?
(『教室内(スクール)カースト』鈴木翔著)
すぎむらなおみ
くまさんのシネマめぐり3
「笑い」の効用を考える──『最強のふたり』『毎日がアルツハイマー』 好井裕明
ブックガイド
「ひとごと」として支える
(『海街diary5 群青』吉田秋生著) 土屋葉
偶然開けた留学への道筋
(『わが盲想』モハメド・オマル・アブディン著) 斉藤龍一郎
〈政策のリアル〉の底が抜けたとき
(『生活保護リアル』みわよしこ著) 岡部耕典
生きることをめぐる「解釈の共同体」からの贈り物
(『ひきこもり もう一度、人を好きになる』萩野達史著)
居郷至伸
「異文化」での老いることの記述に私たちは何を見るか?
(『老いを歩む人びと』高橋絵里香著) 井口高志
口絵 おたっしゃで 写真・矢部朱希子
表紙挿画 志村雅人
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読書メータに最初に書いたメモ
読み応え満載。で、特集よりも特集外の方が面白かった。 支援で食べている自分としては、ちょっとしたずれが残った。
で、部屋にころがってた本を再び手にとって、ちょっとメモりたくなった。
目次にはないが、山下幸子さんが特集のリードを書いている。
ちょっと引用
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そう、本誌は「ジタバタ」する雑誌なのだった。支援を生業とする、そのことを所与の前提として、その継続やさらなる条件の向上のために何が必要かと論を立てていく前に、支援の内奥をつぶさに見ること、感じ、考えることから始めていこうとする。
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岡部さんは・・・「関係性による支援」と「制度による支援」の、「どちらにも回収されることなく、両者を合成したうねうねとしたベクトルとして描かれるのが、〈支援〉で生きて稼ぐこと」だという。
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関係性を重視する一方、関係に開き、支援者自らの「弱さ」をも開くといったあり方に感じる気後れもある。”仕事だからこそ”、そういうあり方には距離感をとるということもあるだろう。
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「労働」という切り口で語れば抜け落ちてしまうものをつかむために、ヘルパーと当事者が何をしているのかということを、一つ一つほぐしていく。
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ここに引用されている 岡部さんの「関係性による支援」と「制度による支援」の、「どちらにも回収されることなく、両者を合成したうねうねとしたベクトルとして描かれるのが、〈支援〉で生きて稼ぐこと」だという話に頷きながら、それでも残る違和感。
確かに、この通りなのだが、そのことが意識されることは希だ。就労支援施設はヘルパーより「制度による支援」に近い場所にありそうだと思うが、だからこそ「制度による支援」に回収されてしまわない何かが必要とされているのかもしれない。まあ、「制度」は必ずしも所与のものばかりではない。
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