大河ドラマ「べらぼう」とセックスワーカーの権利

赤旗の「波動」というコラムで碓井広義さんという人が「どんな形態であれ売買春は性搾取」なのだから、吉原でのガイドブックを出す蔦重を肯定的に描く大河ドラマ「べらぼう」にもやもやするというような話を書いているのを、フェイスブックで紹介されていたのを読んだ。
https://www.facebook.com/photo?fbid=2613894652334001&set=a.584667798590040


それを2回にわたって、シェアするときに書いたコメント。
以下のコメントをつけて、今日の早い時間にシェアして、思った。
性搾取反対かセックスワーカーの権利か、という二者択一ではなく、性搾取に反対しつつ、セックスワーカーの権利を守るという、「どっちも」という方向がもっと模索されていいんじゃないだろうか? まあ、セックスワーカーの権利を主張する人たちが性搾取にも反対しているのは間違いないのだろうが、どうしても、その対立ばかりが目立ちがち。

今日の早い時間に書いたコメントは以下
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このドラマはほとんど見ていないのですが、・・・。
セックスワーカーの権利の主張と性搾取に反対する主張のせめぎ合いに関する緊張がドラマで描かれているかどうか・・・。
旧来の女性の運動の主流は性搾取に対する抵抗で、それはそれとして意味があったし、今もあると思うのですが、他方でそれが性搾取的ではないセックスワーカーの権利の主張を抑圧するという側面があり、そのセックスワーカーの権利の主張とのせめぎあいが存在しています。
このドラマはそのあたりを意識した作りになっているかどうか、気になりつつも、見てないのでした。
シェアするときに書いたコメントはここまで。

あれ、前にも似たようなことを書いたかもと思いだして、探したら16年前に書いたものがあった。

(セックスワーカーの)「権利派」と(買売春の禁止を求める)「人権派」
https://tu-ta.seesaa.net/article/200907article_7.html

で、「あれかこれか」の問いの答えは、たいてい「どちらも」だと書いたのはレベッカ・ソルニット
 「あれかこれか」の選択問題の正解は、たいていの場合「どちらも」である。逆説的な関係に向き合うには、一貫性にこだわって、一方を切り捨てるのではなく、両方とも掬い上げるのが一番まっとうなやりかたなのだ。・・・一方のみを取り上げ、他方を閉め出すことではない

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