斉藤幸平さんのSDGsアヘン論について

別のところ(https://tu-ta.seesaa.net/article/202201article_1.html )で紹介したものだが、ここだけ切りだして再度紹介。

ラジオ番組用の講演(カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える~現代を見つめる~」(2)2021年12月12日放送分)でSDGsアヘン論について、斎藤さんは以下のように語っていました。
(ぼくのちょっとした違和感は最後に)

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新自由主義という格差を広げ続けるやり方ではこれからの気候変動の時代には対処できないんではないか。別の道、ダボス会議ではグレートリセットという言葉が使われてますけど、一旦リセットしてもっと別の道を探らなければいけないんではないかということが世界的なコンセンサスになりつつある。その別の道とは何かということなんですけれども、それが今、グリーンニューディールとかグリーンリカバリーとかグリーンディールって呼ばれる緑の資本主義を目指す方向性になる。

今までは環境対策をするののであれば、追加的なコストがかかってしまうので、これは経済にとっては足かせになるという考え方が支配的でした。だけれどもこれから電気自動車であれ、再生可能エネルギーであれ、そういうところにですね、投資をして消費者等の環境に優しいプロダクトを求めるようになっているとすれば、むしろ環境にやさしいクリーンな技術に投資をすることの方が企業にとっても業績が上向きになる。そして国全体としてもそういった企業を促進して育てていくことが新しい雇用も生むし、それで商品を底上げになっていいですね、景気の循環を作っていくことができるんじゃないか、このグリーンリカバリーの作戦がうまくいけば、私たちは電気自動車や太陽光パネルやあるいは身の回りにあるものでもビルを作っているコンクリートなんかも含めて二酸化炭素を出すものがいっぱいあるわけで、そういうものを二酸化炭素を出さない技術において全て置き換えて行かなければいけないとすれば、ここには莫大な儲けのチャンスが眠っているし、これをうまく使えばまだまだ新しい投資先はあって、経済成長のチャンスもあるんではないか、そしてこの道を突き進んでいけば持続可能な資本主義を未来永劫続けていくことができるはずだという期待が投資家達の間では、あるいは政治家たちの間でも高まっている。

これが昨今のESG投資とか、日本ではもうちょっと巷でも言われているなSDGsという言葉の背景にある動きです。逆になぜ SDGsという言葉がこれほど急速に流行ったかといえば、世界のトレンドでこうした環境意識の高まりと新しいビジネスチャンスというのが明確に結びついたわけです。ただし、これがアヘンなんではないのかという問題提起が『人新生の資本論』で私が冒頭でしたことですね。

 皆さんが持続可能な社会のために何をしていますかと問われた時に、何をしていると答えますか?

マイバッグを持っているとか、マイボトルを持っているとか。家の車をハイブリッドにしたとか、何かフェアトレードのものを買っているとか、そうした試みが善意からなされてることは間違いない。だけれどもそれで今私たちは直面している気候危機や格差の問題に立ち向かえるかといえば、到底立ち向かえない。

 むしろ自分はフェアトレードのコーヒーを買ったから何かいいことをした。あるいは何か地球環境にとって、レジ袋とか使わなかったことでいいことをしたと思ってしまって満足をしておしまいであればそれは、むしろ有害である。そうしたレベルで何か問題は解決するかといえば到底解決しない。大胆なアクション起こさなきゃいけない時に小さなアクションで自分の罪悪感をなだめていたら、むしろ現実を見ないための麻薬になってしまう。これが『人新世の資本論』で言ったSDGsは大衆のアヘンであるということなんです。

(中略)

企業の側もむしろ 私たちの企業の作っている商品はエシカルですよ、サステイナブルですよと謳うことによって2個、3個とですね、消費する事を迫ってくるかもしれない。 あるいはライバル企業のハンバーガーよりもうちの企業のハンバーガーを食べてくださいというようなファストフードの中でもそうした SDGsの競争が行われるようになってきた。あるいはファストファッションなんかもリサイクルしてます、オーガニックコットンを使ってますそうした宣伝というのがなされている。 私たちはそれを見ると、リサイクルボックスがあるからこのリサイクルボックスに着ていないあの服を入れさえすれば自分の罪悪感が軽くなって新しい消費活動にまた勤しむことができるようになっていく。

これがまさに免罪符としての SDGs、このSDGsウォッシュの問題点とは問題の本質が明らかに儲けを優先とする大量生産・大量消費・大量廃棄のサイクルであるにもかかわらず、つまり、それを進めているファストフーズやファストファッションであるにも関わらず。あたかもファストファッションやファストフードが持続可能になれるかのような嘘を振りまいていることなんですよね。 

本当にそうした企業がSDGsに関心があるのであればもっとバングラデシュの人たちに給料を払うべきなんですよ。そしたら、ファストファッションじゃなくなっちゃうわけですね。本質に搾取の構造が埋め込まれている産業というのは持続可能になりようがないし、あるいはせめてポーズとして日曜日はお店を閉めますとか、夜10時以降はお店を閉めますとファストフードもやったらいいじゃないですか。だけど、そんなことは決してしない。なぜならば SDGsに取り組んでいるというメッセージは宣伝にはなるけれども、実際にSDGsに合致した行動をとることは利益を減らすことになるからなんです。

~~ラジオからの聞き取りここまで~~

この斎藤さんの辛口SDGs論、基本的にその通りだと思う。

同時に持続可能で誰一人取り残さない社会をに向けた根本的(ラディカル)な変化のためにSDGsを超える取り組みが必要であることを考え始めるきっかけとしてSDGsを使うことも可能なのではないか、とも思う。

ここで斎藤さんは既存のSDGsに関する取り組みに関して、その危険や、それが逆の方向に使われる可能性についてわかりやすく説明している。

SDGsのいくつかの具体的なターゲットには必要なこともあれば、これはどうかというものもある。それは妥協の産物でもあるからだ。しかし、基本理念としての「誰一人取り残さないこと」と「社会の根本的な変化(トランスフォーム)」というのは間違いなく重要な話でもある。これを本当に実現するような取り組みが求められている。斎藤さんが指摘しているように、SDGsには根本的な変化につながらず、逆に根本的な変化の妨げになるようなSDGsと銘打った取り組みが多いという認識は必要だが、その上で持続可能で誰一人取り残さない社会の実現に向けて、何が必要なのかを考えるきっかけとしてSDGsを使うのは、ぼくはありだと思う。

以前のblogをみたら、ほぼ同じことをもっと詳しく
https://tu-ta.seesaa.net/article/202103article_3.html
などでも書いていた。

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