「発達障害概念」とは医学モデルの限界性から生まれ出たもの
「発達障害」について、いろいろ語ってきたのに知らなかったこと。
日本語における発達障碍の原語にあたる“developmental disability”は,1960 年代のアメリカにおいて知的障碍をはじめとする機能障碍をまとめる概念として成立したものであり,かつ機能障碍という医学的視点に留まらずその機能障碍をもつ人の生きにくさとその支援をも射程に入れたものでした(竹下,1999)。しかし,わが国において「発達障碍」とは,1980年代に自閉症スペクトラムを中心とする機能障碍を包含する舶来の医学的診断概念として定着していきました。そこで大きくクローズアップされた機能障碍は知的障碍を伴わない自閉症スペクトラムやADHD,LDであって,日本における発達障碍の枠組みから知的障碍は根拠なく除外されました。そして,2000年代以降のわが国は発達障碍ブームとも捉えられるような状況を呈しました。それは,いわゆる「脳ブーム」(松本,2009)と言われるような脳決定論的な風潮に後押しされた極端な医療化の動きとして捉えられます。しかし,そもそも発達障碍概念とはその成立当初から医学モデルの限界性から生まれ出たものであり,今日に至るまでその医学的根拠は依然不確実です(市川,2014)。
中島由宇さんによる『知的障碍をもつ人への心理療法の可能性』
から
これを読んで考えたのが、「発達障害」(“developmental disability”)というときのdevelopmentのとらえかたについてです。これを開発とか発達とか発展という日本語と結びつけずに、言葉本来の意味らしい「つぼみが花を開くプロセス」と考えれば、つぼみが花を開くプロセスがあったのに、それを環境が阻害し、開かせない状態に置かせた、という話に接続することも可能なのではないかと思ったのでした。
他方で、このように考えることの危険も大きいのですが・・・。
(それは「発達障害」で「障害」とされる事柄を単に否定的に見ることと、つながってしまうから)
ただ、親元や施設にいるときに、激しかった行動障害が、支援付き一人暮らしの中で、発生しなくなっていくというような事例は、この「つぼみが花を開くプロセス」をじゃましているものを排除したら行動障害が消えたという話で説明可能なのかもしれません。
上記のPDFの文章を書いた中島由宇さんは『知的障碍をもつ人への心理療法』https://www.nippyo.co.jp/shop/book/7838.html という本の著者。ぼくは中島さんが男性か女性かも知らないのですが、三井さよさんの紹介でたこの木クラブにも何回か来ているとのこと。たこの木クラブでの『かかわりの社会学』連続講座で中島由宇さんに来てもらって、話を聞くことになったのでした(2025年6月予定。詳細はこれから)。というか、気がついたら、そうなっていたのです(ぼくも実行委員なのですが)。Yさんの『知的障碍をもつ人への心理療法』という本への強い思い入れでそうなったのでした。
最初はこの本のタイトルだけ見て、つまならそうだなぁと思っていたのですが、上で引用した短いPDFの文章を読んでとても興味がわいてきたのでした。頁数は258とそんなに多くはないんですが、3960円とけっこう高価で購入をためらっていましたのですが、やはり興味深過ぎて、いつもの本屋「葉々社」で注文してしまいました。このPDFの文章については、別途紹介する予定。
この「しょうがい」の表記について
この「しょうがい」の表記について
このPDFの「註」で「しょうがい」の表記について、中嶋さんは以下のように説明します。
註 1「障害」の「害」には「かぶせて邪魔をして進行を止める」という意味があるため(田中,2009;滝川,2017), 2000 年代よりそうしたネガティブなイメージを人に付することに異を唱えようとする動きが起こり,「障碍」,「障がい」といった表記を用いる立場が見られるようになった。筆者は,こうした議論に意識的でありたいというスタンスと,「碍」の「行く手をさえぎるように見える石」という意味性(田中,2009)が筆者の注目する関係性の困難のニュアンスにより近いことから,本稿でも原則的に「障碍」の表記を用いることとする。
障害の社会モデルの立場から、障害は社会の側にあるのだから、ここでの表現を借りると、社会が「かぶせて邪魔をして進行を止める」という意味で「害」でいいのだと言われてきましたし、ぼくもそう思っています。このあたりの話について、どのように記載されているのかも気になるところ。
以下、3月5日追記
上記の説明に
上記の説明に
わが国において「発達障碍」とは,1980年代に自閉症スペクトラムを中心とする機能障碍を包含する舶来の医学的診断概念として定着していきました。そこで大きくクローズアップされた機能障碍は知的障碍を伴わない自閉症スペクトラムやADHD,LDであって,日本における発達障碍の枠組みから知的障碍は根拠なく除外されました
とあるのですが、果たして、日本における発達障害の枠組みから知的障害が外れたと言い切ってしまっていいのかどうかは気になるところ。確かに、知的障害と別ジャンルとして扱われるケースがとても多いのは間違いない話ですが。「知的障害を伴わない発達障害」という表記があれば、その前提に「知的障害を伴う発達障害」は想定されているのではないかと思うので、そのうち出会うはずの著者に聞いてみたいと思います。
この記事へのコメント
障害の障は自動詞 害は他動詞 碍は自動詞
〇〇を妨げる という意味の他動詞を「者」へ接続した言葉である「障害者」は、何を妨げる者なのか?という疑問
類似した言葉で近年よく見るのが「老害」
老は自動詞 害は他動詞 つくりは「障害」と同じ
みなさんは祖父母を「老害者」と呼びますか?呼べますか?
と問うと皆さん無言になります。
無自覚に気が付くことから始めたい、と伝えてます。
あと、発達障害は別の研修で「disorder」と表されるんだと習いました。その医師は周囲からのorder次第でdisの程度が変わるんだ、的なことをおっしゃっていて、これも講座のネタで使っています・・・(;^_^A
遅れた返信でごめんなさい。
自動詞と他動詞という説明、しりませんでした。
他動詞の説明はわかったのですが、自動詞としての「碍」はどのような使われ方になるのでしょう?