知的障害者の自立生活(支援付きひとり暮らし)に関する課題(追記あり) 根本的な誤りの指摘を受けて
以下に掲載した【知的障害者の自立生活(支援付きひとり暮らし)に関する課題】ですが、知り合いの白岩さんから「知的障害のある人の自立生活について考える会」のフェイスブックコミュニティでここに含まれる問題を指摘されて、根本的な欠陥があることに気がつきました。
以下のような指摘でした。
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それへのぼくからの返信です。
最初の返信は以下
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ブログを読んだ気づきを含めた2回目の返信
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これを前提に以下を読んでください。
問題の部分も手を加えていません。
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大田区の相談支援専門員のネットワーク・連絡組織である「相談支援連絡会おおた」で重度知的障害と呼ばれる人の自立生活(支援付きひとり暮らし)について事例発表をした。以下はそこで配布するために作成した資料。後日若干補足した上にたこの木通信2025年3月号に掲載するためにさらに加筆。足りないところがあれば、補足したいのでコメント募集中。
20250226 相談支援連絡会おおた資料(後日補足、これからも足すべきものがあれば足します)
知的障害者の自立生活
(支援付きひとり暮らし)に関する課題
相談支援事業所ここん **
・それが可能であることが知られていないこと。(当事者・家族・支援者・行政)
そのために「知的障害のある人の自立生活について考える会」があるともいえる。
・他のものと同様の生活を送る権利という視点の欠如
障害者権利条約19条に定められている。日本政府は権利を保障する義務があり、人びとの理解も必要。
・重度訪問介護を受けられる枠が狭いこと。(行動障害の点数)
しかし、重度訪問が使えない人の一人暮らしが不可能かと言えば、そうではない。職場やB型や生活介護といった日中活動の場があれば、朝・夕数時間の介助体制で、支援付き一人暮らしが可能な場合はある。また、重度訪問介護が使える人とシェアハウスで同居していた事例もある。
・コーディネータと介助者(ヘルパー)が必要となるが、その数や体制が十分ではないこと。
例えば、経験を共有する場としての「知的障害のある人の自立生活について考える会」コーデネータグループ。コーデネータを養成する支援が必要かもしれない。また、どのように介助者を確保するかという課題も大きい。
・意思決定を支援する仕組みへの理解
複数の支援者や関係者が当事者の意思について、話し合い確認する場の必要性。多くの自立生活(支援付きひとり暮らし)の現場でそれが持たれている。例えば、ある事例では、日常的なITツールを用いた情報共有(スラックやストック)。月に一度の生活会議(各事業所から1名ずつ、母親、相談支援事業者)、数か月に1度の支援者全員の会議を開催している。
・体験できる場所がほとんどない
やはり知的障害の人の場合、何をしたいかを読んだり、話を聴いたりして理解することが難しい人は多い。体験をする場所がない。例えば大田区の場合、ショートステイは施設であることが多く、ショートステイを体験して、もう嫌だという声はよく聞く。支援付き一人暮らしを体験し、親の家を出ることが愉しいと思えるようなショートステイが必要。
・保護者との関係の整理
一筋縄ではいかない保護者との関係、一人ひとりの状況によって異なるが、一人暮らしを始めるにあたって保護者の理解は不可欠。しかし介入し過ぎも課題。
・経済的な課題
当事者の年金や手当、その他公的支援が、世帯全体の生活費などになっている場合もあり、自立生活のためには、それに部分的にも依存している家族の生活を支援する仕組みも必要となる。
・地域とのつながり
これは岩橋さんからの大切な指摘。これって、自立生活だけの課題ではなく、GHで暮らしていても、家族と暮らしていても、大切な課題でもある。
この記事へのコメント
参加された皆さんの反応はいかがだったでしょうか?
必要な事がとてもコンパクトにまとめられていて、「こういうことをもっと広く伝えていかなければ」ととても参考になります。
その上で、「足りないところがあれば、補足したいのでコメント募集中。」と書かれていたのでコメントさせていただきます。
とても大切な指摘と思いつつ、
この中に抜けているのは「地域」や「地域のつながり」と言う点に思います。
・それが可能であることが知られていないこと。
として、
先ずは、「当事者・家族・支援者・行政と言う立場の人」と思いますが、その人たちは既に地域で暮らしていて、当該のみではない様々なつながりも活用して自立生活をあたりまえのこととするならば、各々の生活圏において、障害者とは関係のない人たちにも伝えていく必要があると思います。
例えば、
社協が相談支援事業をやっているところが多々あるのですが、社協全体の取り組みとしては「地域」と言う領域に深く関わりつつも、相談支援事業における課題と切り離された個人の事柄になっているように思います。
又、職業専門家(弁護士・医師・不動産業等々)から障害当事者の事をあれこれ聞かれる事があるのですが、その方たちの日常に障害当事者が存在していないかのような切り分けられた話がしばしば合って、どこからやり取りすれば良いのか戸惑います。
昨今「地域とつながる事が果たして必要なのか?」と、個々の生活保障のみを課題とする人たちがいますが、「地域とつながる」と「地域とつながっていない」は別で、福祉制度が進めば進むほど、地域から分断された暮らしを強いられているように感じる場面が多々あります。
「地域」と言うのは、漠然としたものではなく、単純に隣近所やいつも利用している街のお店の店員さんや本人の興味に則し公民館が開いているイベントやサークル探しをするのもあって良いと思うのですが、身構える先方がいて、それはとても面倒なことなので、結果ヘルパーと当事者/日中活動の場と当事者と言う関係に終わってしまっているように感じます。
その辺り、周囲の「地域の人たち」にいかに伝えいかに関係を築いていくか?
TV等で流れる他人事ではない、身近な存在としての関係。
まだまだ事例が少ない中では、致し方ない面も多々あるとは思いますが、今の取り組みの先にあるものとしていつも意識下においておきたいと願います。