町内会や地域の自治会の生き残りは可能? それは必要? (「ほんの紹介」84回目)

たこの木通信20252月に掲載したもの。もっと長い読書メモは
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町内会や地域の自治会の生き残りは可能? それは必要?

(「ほんの紹介」84回目)


 2023年の正月にいまの家に引っ越してきたら、ここがいまどき珍しく町内会(自治会)が元気な地域だった(山王3・4丁目自治会)。連れ合いが町内会に参加するようになり、ぼくも誘われて、防災協力隊というのに入れてもらった。昨年の秋には近所の公園でオクトーバーフェストと名付けたビール祭りも開催し、ぼくは生ビールを注いで売った。そこで町会活動に興味がわいて、この本(『町内会 ――コミュニティからみる日本近代』 (ちくま新書)玉野和志著)を読んでみた。
 著者は町内会のこれからのありかたとして、「住民が誰でも参加して、行政とともに協議し、決定し、場合によっては議会に要求する、そんな開かれた協議の場にするのはどうか」と提案する。

 問題はそのような機能をどのようにビルトインして、多くの人が参加できるような議論が出来る場所を作るかということでもある。そういう意味では、さまざまな親睦のイベントも、そういう場を作ることを意識して広げていくということもあるのかもしれない。

 そして、行政の側には、そのように声を聞き、地域の住民とともに地域コミュニティを形成していく意思が求まられるのだろう。

 話は飛ぶが、GHQが町内会を禁止したという話を知らなかった。一度廃止するという選択は間違っていなかったのかもしれない。そういう意味ではサンフランシスコ講和以降の復活のさせ方が中途半端だったのだ。それは日本の戦後の民主化が中途半端だったという証左のひとつかもしれない。

 また都市自営業者の衰退によって、それまでの町内会が存在する基盤が失われたとされている。そして、2000年代以降現在に至って、すでにかつてのような意味での町内会体制は望むべくもない」とされる。この本で、これからありうべき町内会が存在する基盤をどう見つけるか、ということについての明確な記載はなかったと思う。それを受けて、書かれているのは、「まずは町内会のような住民組織が存続するのが当たり前と考えることを、やめることから始める必要がある」という。これは町内会の存在を否定しているのではなく、当たり前ではないが、工夫して、なんらかの方法で町内会を再生させる方法を考えなければならないという話だが、同時に旧態依然とした町内会は消えるしかないという話でもある。

 そして提起されるのは、町内会と市民活動のタイアップ、町内会が活力を失っていく中で、それまでは町内会が相手にしなかった課題ごとの市民活動と連携する契機が生まれているという。そこに障害者の事業所が切り込んでいく余地があると思った。

さらに「町会が切り拓いてきたのは。行政との特権的な関係」であり「全戸加入原則によって地域住民を代表しているという建前があるにもかかわらず、実際には少数の人々の特権として機能し、きわめて不透明なものになってしまっている」「しかし、自治体の行政や議員がその声を聴かざるをえない特権的な場を、町内会が確保してきたというこの成果は、住民自治にとってはかけがえのない財産」 「そうすると問題は、この特権的な場をどのように開放し、いかにして文字通りの全戸加入原則を実現するかということ」。それをどのように実現するかが課題だ。「コミュニティからみる日本近代」について触れる前に紙幅が尽きた。続けるかどうか不明。 


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