『母よ!殺すな』から半世紀、2024年に発生した親による障害者殺し
障害ある息子を手にかけた父 44年の献身、見つからなかった居場所
以下、部分引用
社会モデル、と考えると、、社会が引き起こした事件であることは間違いない。しかし、だからと言って・・・、という議論は、すでに『母よ! 殺すな!』で語られている。弁護人「困ったことは?」
被告「おきよはトイレで全部(服を)脱いで、便器の中に詰め込んじゃう。便座も投げたり」
弁護人「トイレ以外に問題は?」
被告「かまってほしいのか、トイレの前でおしっこしちゃう。うんちゃん(排便)は畳の上にしちゃう。それをつかんで壁に押しつけちゃう」
家の障子や網戸、電化製品などは何度も壊された。テレビは20台以上壊れ、押し入れにはコードがいくつもあった。被告につかみかかってくることもあった。それでも、「汚いと思ったことはない。ものはいくら壊されてもいい。けがさえしなければいい」と思っていたという。
次男はドライブが好きで、被告が朝晩2回、連れて行った。妻が買い物や料理する時間をつくるためでもあった。
次男は家の中のものを車に積もうとするなど、連れて行くだけで一苦労だった。公園でも、置いてあるパンフレットを散らかし、看板を壊し、公園事務所に勝手に入ることも。近くの公園はほとんどが出入り禁止になっていた。
いくら物を壊しても、「自分が謝って済むなら」と思っていたが、危険な時だけは体を張って止めた、という。
次男は目を離すと、家を抜け出そうとする。被告が夜、眠ってしまった時に近くのコンビニに裸で入り、警察に保護されたこともあった。被告は「眠る時間はなかった」と話した。
それでも夫妻は、他の子どもたちと同じように過ごせない息子たちのために、よく家族旅行に出かけた。被告は「行っていないのは沖縄と佐渡くらい。障害があっても少しでも良い思いをさせてやりたかった」。
裁判員から「幸せだと感じたことがあるか」と聞かれた被告は「もちろんあります。小学校(の頃)、本当にかわいかった」と答える場面もあった。
どうして、居宅に支援を入れることが出来なかったのだろう、そのために誰がどのように動いたのだろう、疑問はざまざまに残る。と思ったら、同じ人が書いたもう少し早い時期の記事があった。
「そろそろ限界だ」届かなかった父のSOS 障害者殺害で検証報告書
「SOSと認識した機関はなかった」
県は学識経験者や次男の障害福祉サービスを支給決定していた小田原市、相談支援事業所などとチームを設け、対応を検証していた。
中間報告書では「在宅での支援に向けて支援機関が十分に連携していなかった」とし、「家族が追い詰められているという、SOSと認識すべきであったが、SOSと認識している機関はなく、連携会議を開催して対応を協議する、本人を保護するなどの緊急対応がなされず、認識が甘かった」と指摘した。
この日の県議会では、検証を担当した吉田信雄・県立障害者施設支援改革担当課長は「(介護者が休息するための)レスパイト支援だけでは不十分だった。家族の高齢化や介護疲れなどで入所の必要性が高い方に施設が連携して果たす役割が不十分だったのではないか」と話した。
追記
知り合いが以下、教えてくれました。
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思い出されるのは横浜市金沢区の母親が障害のある娘を殺害した事
地元から減刑嘆願運動が起こり、
極論すれば障害者を殺すことは殺人に値しないのかと言いたくもな
50年余前の金沢区の事件でも、
国際障害者年を経てノーマライゼーションが叫ばれ、
地域共生社会が言われて30年が経つでしょうか。
この社会の障害者に対する認識は、
私たち当事者はこのことを改めてしっかりと直視しなければなりま
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殺した父親だけの責任ではなく、社会の責任は大きい。
しかし、殺した父親が「執行猶予」という形で免罪されていいのか、その個人の責任が執行猶予という形でしか問われないのはなぜなのか、それでいのか、とも思う。
犯罪もまた、社会モデルで考えられる必要がある。しかし、それは個人の責任を免罪するという話ではないはずだ。とはいえ、「執行猶予」にもやもやしつつも、それが絶対だめだとも言い切れず、どっちつかずは免れない。
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