終末ファシズムの台頭 ナオミ・クライン他(ガーディアン紙2025/4/13)(冒頭と結語のみ)
ツイッター https://x.com/kemohure/status/1911849397555765713 で紹介してもらった。このツイートからのスレッドに概要が紹介されている。以下、適当に転載。
・物凄く大雑把に要約すると、マガ、シリコンバレーのテクノ大富豪を中心とするテクノ右派、加速主義者、宗教右派は、終末論という軸で結ばれていると分析。
・物凄く大雑把に要約すると、マガ、シリコンバレーのテクノ大富豪を中心とするテクノ右派、加速主義者、宗教右派は、終末論という軸で結ばれていると分析。
・ジジェクらは、マガとテック右派は意見の違いにより分裂すると考えるが、ナオミ・クラインは、彼らを繋いでいる終末論的幻想、すなわち、何か(金融秩序崩壊、AI技術加速、宗教戦争等)が世界を破壊しつくして、その時、自らが勝者となるという千年王国の幻想で繋がっており、分裂はしないと分析。
・彼らは、様々な物語、例えば様々なSF小説などの娯楽が流布してきた、アポカリプス(世界終焉の黙示録)の物語を現実と混同して、もしくは現実とする為に動くという大目的を共通している。彼らは全ての破壊の後に、自らだけが支配者となる千年王国を夢見ている点で、同根であり強い繋がりを持つ。
・ナオミ・クライン
「3つの事態、気候変動、パンデミック、AIの急速な技術加速、それが終末論的ファシズムの終末論的魅力を加速させている(略)こうしたことを妄想として片付けるべきではない(略)シリコンバレーは(人間を守る規制を解除して軍事や監視に参入することで)利他主義の攻撃に走っている」
・「言葉に尽くせないほど陰鬱な選択が、私たちの目の前で、そして私達の同意なしになされている。人間よりも機械、生物よりも無生物、そして何よりも利益。驚くべき速さでシリコンバレーの誇大妄想的支配者達はトランプ氏にすりよった」
(全般的にシリコンバレーの影響分析が大きい)
・「終末のファシズムがあらゆる戦線で戦争を仕掛けている今、新たな同盟が不可欠です」 マガ、宗教右派、テクノ大富豪の終末論者の連合が「我々だけが黙示録的終焉の中で生き残る」と言うなら、「あなたは生きたいですか?なら生きたい人は皆こちらに来てください」と言うことが必要と・・・・
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冒頭部分と結語部分のみ、機械翻訳をもとに以下に掲載
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冒頭部分と結語部分のみ、機械翻訳をもとに以下に掲載
Sun 13 Apr 2025 12.00 BST ガーディアン紙 WEB版の記事
ナオミ・クライン、アストラ・テイラーによるエッセー。
The rise of end times fascism 終末ファシズムの台頭
https://www.theguardian.com/us-news/ng-interactive/2025/apr/13/end-times-fascism-far-right-trump-musk
とりあえず、この記事の冒頭部分を機械翻訳にかけてみた。適当に変えた部分もある。最後まで読んだわけだはないので、この文章が正しいのかどうかは不明。ただ、興味深いのは確か。リンク先は英語の記事。
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注目のエッセイ
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注目のエッセイ
終末ファシズムの台頭
ナオミ・クラインとアストラ・テイラー
ナオミ・クラインとアストラ・テイラー
(トランプ)政権の極右イデオロギーは、怪物的で排他的な生き残りを目指すものとなっている。我々の課題は、彼らを阻止するのに十分なくらいに強力な運動を構築することである。
2025年4月13日(日)12.00 BST
企業のための都市国家をめざす運動は、その幸運を信じることができない。何年もの間、裕福で税金を嫌う人々は、国際海域の人工島に新しい国を作ったり(「シーステージング」(末尾に訳注あり)、ホンジュラスの島でワイルド・ウェストの医療スパと一体化した美化されたゲーテッド・コミュニティであるプロスペラのようなプロビジネスの「自由都市」を作ったりと、自分たちのハイテク領地を立ち上げるべきだという極端な考えを推し進めてきた。
しかし、大物ベンチャー投資家のピーター・ティールやマーク・アンドリーセンの支援にもかかわらず、彼らの極端なリバタリアンの夢は泥沼にはまり続けた。自尊心のある金持ちのほとんどは、たとえ税金が安くなるとしても、実際には浮遊石油掘削装置の上に住みたいとは思っていないことが判明し、プロスペラは休暇や体の「バージョンアップ」にはいいかもしれないが、その超国家的な地位は現在法廷で争われている。
そして今、突然、このかつては企業の分離独立主義者たちの周辺組織だったネットワークが、世界権力の死角にある開かれたドアをノックすることになった。
運命が変わりつつあることを示す最初の兆候は、2023年、選挙運動中のドナルド・トランプが、一見どこからともなく、連邦の土地に10の「自由都市」を創設するコンテストの開催を約束したときだった。当時、この観測気球はほとんど話題にならず、連日のとんでもない主張の洪水に紛れてしまった。しかし、新政権が発足して以来、トランプ大統領の公約を現実にしようと、この国を立ち上げようとする者たちがロビー活動に奔走している。
プロスペラのチーフスタッフであるトレイ・ゴフ氏は最近、国会議事堂を視察した後、「DCのエネルギーはまさに電光石火だ」と熱く語った。数多くの企業都市国家への道を開く法案は、年内に完成するはずだと彼は主張する。
政治哲学者アルバート・ハーシュマンの歪んだ読みに触発され、ゴフ、ティール、そして投資家で作家のバラジ・スリニヴァサンといった人物は、彼らが「出口」と呼ぶもの、特に税金や負担の大きい規制といった市民権の義務から逃れる権利を持つという原則を唱えてきた。帝国の古い野心と特権を再構築し、再ブランド化した彼らは、政府を分裂させ、世界を超資本主義的で民主主義のない避難所に切り分け、私的な傭兵に守られ、AIロボットがサービスを提供し、暗号通貨で資金を調達することを夢見る。
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DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
風巻 浩DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
さんがフェイスブックに投稿してくれた最後のところのグーグルさんの翻訳。(ブログ主がわかりにくかった語句を少し変更 )
今一具体的な行動指針が無いのがもどかしい。とのこと。
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0QtfdsjXw8DdkLtp47K7rSWGuw6iNvo2C9733QfqWsPaYBPudj1Fojj45eLrNEoSpl&id=100005028798071&comment_id=690361140155861¬if_id=1746164240038858¬if_t=feed_comment_reply&ref=notif
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid0QtfdsjXw8DdkLtp47K7rSWGuw6iNvo2C9733QfqWsPaYBPudj1Fojj45eLrNEoSpl&id=100005028798071&comment_id=690361140155861¬if_id=1746164240038858¬if_t=feed_comment_reply&ref=notif
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この終末論的な熱狂をどう打破すればいいのでしょうか?まず、私たちは互いに助け合い、あらゆる国の極右勢力を蝕んできた堕落の深さに向き合う必要があります。焦点を定めて前進するためには、まずこの単純な事実を理解しなければなりません。私たちが対峙しているのは、自由民主主義の前提と約束だけでなく、私たちが共有する世界の住みやすさ――その美しさ、そこに住む人々、私たちの子供たち、そして他の種――をも放棄したイデオロギーです。私たちが対峙している勢力は、大量死を甘んじて受け入れています。彼らはこの世界と、そこに暮らす人間と非人間にとって反逆者です。
次に、彼らの終末論的な物語に、誰も置き去りにすることなく、これからの困難な時代を生き抜く方法についての、はるかに優れた物語で対抗する必要があります。それは、終末のファシズムの野蛮な力を奪い、私たちが共同して生き残るためにすべてを賭ける運動を活性化させる力を持つ物語です。これは終末ではなく、より良い時代についての物語です。分離と覇権ではなく、相互依存と仲間との絆についての物語です。逃避ではなく、私たちが絡み合い縛られている困難な地上の現実に留まり、誠実であり続けることについての物語です。
この基本的な感情は、もちろん新しいものではありません。先住民族の宇宙観の中心であり、アニミズムの核心でもあります。はるか昔に遡れば、あらゆる文化と信仰には、とらえどころのない遠い約束の地にシオンを求めるのではなく、ここにある神聖さを尊重するという独自の伝統があります。東ヨーロッパでは、ファシストとスターリンによる殲滅以前、ユダヤ人社会主義労働組合が、イディッシュ語の「ドイカイト」(「ここ」)という概念を中心に組織されていました。この忘れ去られた歴史について近々著書を執筆するモリー・クラブアップルは、ドイカイトを「自分たちの死を望むすべての人々に抵抗し、かつて住んでいた場所で自由と安全のために戦う」権利、つまりパレスチナやアメリカ合衆国に安全な場所に逃れることを強いられる権利ではない権利と定義している。おそらく必要なのは、この概念の現代的普遍化、すなわち、この病める惑星、この脆弱な身体の「ここ」への権利、そして避けられない衝撃によって移動を余儀なくされたとしても、地球上のどこにいても尊厳を持って生きる権利へのコミットメントである。「ここ」は持ち運び可能で、ナショナリズムから自由で、連帯に根ざし、先住民族の権利を尊重し、国境に縛られないものである。
~~~機械翻訳をもとにしたものここまで~~~
そんな点としての行動が、どのようにメインストリームになり得るか、そんなことを考えました。
この結語部分で彼女たちは、対抗する物語を提示しようと主張しています。課題は、
1、その提示した物語を多くの人々に届けることができるかどうか
2、その物語が届いたとして、その結果、人々が行動し、世界を変えることが可能になるかどうか
だと思います。
たとえば、移住し、できるだけ農に近い暮らしをすることは、ひとつの可能性を示唆しているようにも思えますが、ぼくのように、その物語をイメージできても、都市を離れることができない人間もいます。
ただ、都市に生活していても、【分離と覇権ではなく、相互依存と仲間との絆についての物語です。逃避ではなく、私たちが絡み合い、縛られている、困難な地上の現実に留まり、忠実であり続けること】そんな物語を生きることは可能だと思います。
そんな点としての行動が、どのようにメインストリームになり得るか、そんなことを考えました。
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