司馬遼太郎とピープル(『「昭和」という国家』メモ)

NHKラジオの「朗読」という番組で司馬遼太郎の『「昭和」という国家』を松重豊さんが読んでいるのを聞いた。8月11日~15日の放送で各15分。(9月30日まで無料で聞けるとのこと)

読まれていたのは第1章と第2章。司馬遼太郎が「ピープル」について語っているのが興味深く、面白かったので、図書館で本を借りてみた。そのピープルについては最後に触れる。

司馬遼太郎の歴史観については批判が多々あることも知っているし、その批判がまっとうであることも少なくないと思う(詳しくは知らないけど)。

ただ、この本の冒頭に書いてある、終戦の時の彼の感想はすっきりしている。
「なんとくだらない戦争をしてきたのかと、まず思いました」とのこと。
ぼくが大人になった1980年~2000年頃にかけて、それは多くの人が普通に感じる、ごくあたりまえの感覚だったように思う。しかし、「自虐史観」という言葉が使われ始めた1990年代後半から、その普通の感覚を否定する人たちが出て来て、一定の層の人たちが、あの戦争を美化し、そういう声が広がり、そのように主張する参政党が多数の当選者を出すに至っている。

「自虐史観」というような言説が出始めた時期は、ほぼインターネットが普及し始めた時期と重なる。その連関は興味深いが、それを詳しく書く能力はぼくにはない。

ぼくがここで記録を残しておこうと思ったのは、その朗読の最終回(https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=LRK2VXPK5X_01_4265467 )での司馬遼太郎の主張。

こんな風だった。
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(第二章 "脱亜論、私の読みかた”から)

 私は戦争中の末期に青年になり、子どものような顔つきで兵隊になり、そして戦後に青年期を迎えたと自分では思っているのですが、つくづく思います。

 こんないい社会が自分が生きている間に来るとは思わなかった。 言論は自由ですし、非常に呼吸のしやすい社会になった。戦後というのは素晴らしい時代ですね。

 新しい憲法は「ピープル」つまりわれわれ人間、仲間が基本になっていまして、それだけで世の中が明るくなった。ピープルという思想が憲法の中心であります。

 こんないい社会はないなあと思いますが、このピープルというのもですね、これはこれで曲者(くせもの)であります。

 ピープルの中には、悪いことをしてひとつ懐へ入れてやれというピープルもいる。それはひとつ の社会の賑わいと思うこともできます。

 賑わいですが、しかし政治家がそれをやると困る。政治家にそれをさせるようなピープルでは困るわけです。

 政治家のそういう話を聞くと、やっぱりわれわれはアジア人だったんだなあという気持ちがしてきます。

 私は政治家の知り合いはいないに等しいし、多くのデータを持ってしゃべっているわけではないのです。ですが、長く生きてきますと、だんだんわかってくることがあります。39頁)

司馬遼太郎がピープルを全面に出しているところで驚いた。「ピープルの思想」は武藤一羊さんが言い出して、その後、武藤さんはそれと距離を置くが花崎皋平さんがそれを受け継ぐ形で主張してきた思想だ。こんなところで、『新しい憲法は「ピープル」つまりわれわれ人間、仲間が基本になっていまして』というような表現に出会うとは思ってなかった。

花崎さんの「ピープル」に関しては、以下のようなことを20年前に書いていた。そこにピープルは曲者だということも書いていた。
2、ピープルネスとは何か

『ピープルネス』という概念が設定されるのは

じゃなかしゃば(もうひとつの世界)を実現するという問題領域において


主要には

それを実現する主体は誰か、

その主体はどうように形成されるのか、という領域に密接な概念だが、単に『じゃなかしゃば』実現のの主体形成のためというより、『じゃなかしゃば』構想そのものにかかわる概念


 「ピープル」とはひとびと一般を指すのではない。「市民」という身分を批判し、解体する視点からとらえた、21世紀の世界社会の成員性を名づけるカテゴリーとして・・・定義している。

「ピープルネス」とは、世界社会を構成する普遍的身分としての「ピープルとピープルの関係」をあらわす。その中身は、自由、平等、共生と理念化することができるが、それらは固定化された教理ではなく、つねに対象化されつくさない、非対称的な質を持つ人間の生命活動そのものの『個人/個人を超えるもの』88p


「水俣宣言」は、そのしめくくりでこうのべていた。越境する政治行動、支援・連帯行動をつうじて「人びとは、自分たち自身の21世紀を力をあわせてつくりだす「ピープル」となるのである。」343p

ピープルであることとピープルになることとは前者が存在についての記述、後者が価値についての記述とわけることができる。345p

ピープルはジェンダーを自分の身体と切り離さずに考える。(7章「女と男」)

自らの男性性を自覚的に引き受ける。292p 295p

ピープルは地域でこそ生きていける。305p

花崎ピープルは権威からも自由  307p


3、ピープルネスへの疑問


「ピープル」とひとびと一般をわかつものは何か


ピープルはもっといいかげんではないのか

(自分を中心に考える)


「ピープル」というより人びと一般の中に入るぼくには以下のような、つきつめた反省はなかなかできない


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常に妥協を用意し、あきらめによってさえぎり、一時の慰めに心を惹かれ、現実から逃避しようとする自分・・・。


反省という行為は、いうまでもなく他者の現実を介さない突き詰めたものにはならない。他者とは・・・それは根源的には世界であり、歴史・・。そのなかでとくに暴力と死に直面している個々人である。そうした状況からの問いかけ、歴史からの呼び声に応答する責任の自覚においてはじめて、私に対する反省も具体的な内容を持ちうる。反省する力は、状況に参加し、束縛され、それに対して責任と応答の関係を結ぶところから得られる。したがって私自身の存在の仕方を反省において明らかにするためには、世界と歴史の現在へ思想的、実践的に深く関わらなければならない。前出『「ピープルネス」へ』152‐3p


「常に妥協を用意し、あきらめによってさえぎり、一時の慰めに心を惹かれ、現実から逃避しようとする自分」を花崎さんは戒めるのだけれども、・・・・。ぼくはこういう逃げも少しは必要だと思う。、「常に妥協を用意し、あきらめによってさえぎり、一時の慰めに心を惹かれ」ている私ですが、花崎さんのこの反省に対する真摯な態度は大好きだし,ほんの少しは見習いたいと思っています。


どうすれば「ピープル」になれるのか?

「ピープル」はすでにいるのか?

「ピープル」は創造されるのか?守るのか?維持するのか?


一方で反省の厳格さを求めながら、花崎さんは同時にピープルは危うい存在だという。352p

悪の誘惑に負けたり、人を傷つけることをなんとも思わなかったり・・・。


ぼくとしても、ピープルはもっといいかげんで、ときどきはずるくて、でも、けっこうだまされたりもして、泣いて、笑って、怒って、でも数日すると忘れて、それでもけなげで、でもたくましくて、ときどきはまじめだけど、いんちきなことも多くて、人間なんてみんな嫌いだって、ときどき叫びたくなるけれども、それでもやっぱり人間が大好きで、というような、つかみどころのないものなんじゃないか、と思う。

そういうピープルが経済的な利益にずーっとひきつけられながらも、ときどきがんばったりする。そういう形で南の人といっしょに生きていける関係をめざす、「じゃなかしゃば」をめざす主体になる方法はないのか、と思う。花崎さんのように立派に反省はできない。それでも、南の人が「痛い」って言ってる、その声は聞こえるし、聞きつづけなけりゃいけないと思う。

ジェットコースターだって、言いにくいけど、ディズニーランドだって、やっぱり行けば、それなりに楽しい。リゾート開発の結果、できたリゾートホテルも気持ちよかったりするだろう。


それを花崎さんが整理をすると、

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こうした加害可能性と自己矛盾をかくさないこと、おたがいにナニサマでもない者であることの自覚、そこがピープルの連帯の出発点でなければならない。

ピープルになるとは、おたがいにナニサマでもない者としての関係に思いをひろげ、関係をピープル化することである。ナニサマでもない者が、そのままで生きやすい関係をつくることである。(353p

==

ということになる。これは小田実が昔言ってた「にんげんみんなチョボチョボ」ということだろう。

このように、花崎さんは言うのだが、例の「ピープルネスへ」の反省についての文章とか読むと、やっぱりけっこう高いところにいるひとだなぁと思ってしまうわけだ。

ぼくはあからさまに自己矛盾を隠さないし、ナニサマでもない自覚っていうか、ナニサマになりようがない自分を楽しんだりしているので、上記の花崎さんの基準に適合してるかもしれないけれども、あまりにもあからさまなのもどんなもんだろう、という思いがないわけでもない。https://tu-ta.seesaa.net/article/200511article_11.html から

ちなみにこの本の最初のバージョンが出版されたのは1998年だが、この本のもとになったNHKの番組が放映されたのは1986~1987年とのこと。経済的にも日本の絶頂期かもしれない。彼が亡くなったのが1996年なので、没後の出版ということになる。

昭和をその始めから生きてきた司馬遼太郎が「こんないい社会が自分が生きている間に来るとは思わなかった。 言論は自由ですし、非常に呼吸 のしやすい社会になった。戦後というのは素晴らしい時代ですね」と感じられるのだということに少し驚いた。確かに戦前の20年と比べると、それは「いい社会」なのだろう。しかし、あまりにも理想が低すぎないか、とも思う。また、この段階では日本社会のその後の停滞と没落はちゃんとは経験していない。司馬遼太郎が仮に生きていたら、21世紀が始まり四半世紀が過ぎたこの段階をどう見ていたのだろう、というのも気になるところではある。


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