知的障害者の自立生活における母親の役割

以前、
NHKの兄が見た「あゆちゃん」の暮らしから(ほんの紹介45回目)知的障害者の母親の役割について追記あり
https://tu-ta.seesaa.net/article/202112article_2.html
に書いたものをとりだしてみた。

「男のオマエが言うな」とかいう声も感じつつ。
(それはもしかしたら、「男のオマエ」ではなくて、ぼく個人の問題に向けられてる?)
そう、問題が母親にあるわけではない。母親にその役割を押し付けている構造、そして、その上に安住している男の問題、というふうにも言えるかもしれない。

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「知的障害者の自立生活における母親の役割」

社会的性差(ジェンダー)に関わる大きな問題だと思うが、現状で、ほとんどの家で成人した知的障害者の暮らしに関して「母親」が大きな役割を果たしているのは間違いない。自分の子どもへの思いから、その大きな役割を楽しんでいる人も少なくないかもしれないが、社会がその役割を強制している面も小さくないと思う。「知的障害者の自立生活について考える会」のイベントに参加しているのも多くは母親で、父親は主催者側にいる二人の他は、とても印象が薄い。「あゆちゃんち」の暮らしにおいても、母親・智恵さんの存在はとても大きい。

智恵さんだけではなく、その存在なしでは暮らしが成り立たない例は枚挙にいとまがないだろう。

それは当事者自身の決定にも大きく影響している。いいとか悪いとかいう話ではなく、多くの知的障害者の暮らしに関して、それを抜きにしては生活が成り立たない現状がある。

そして、それが社会から押し付けられた役割という話だけで済まない部分が複雑さを形成しているようにも思う。「大好きな子どもの暮らしを支える喜び」みたいなことを感じさせる母親も少なくない。

もちろんそれは、あれかこれか、という話ではなく、一人の母親がいろんな感情を抱きながら、役割を果たしているといえるだろう。

その母親の役割を軽くする責任が父親に、そして、社会にある。

この本(『亜由未が教えてくれたこと〝障害を生きる〟妹と家族の8800日』)を、たこの木通信に選んだ背景に、たこの木の連続講座の会議で「あゆちゃんの意思」と「母親の意思」に関する不注意で失礼な発言を指摘された、ということがあった。

以前、重度知的障害者の息子の自立生活について、その分野でも研究を続ける大学教員の父親が「嫁に出す」という比喩を使って、議論が起きたことがあった。それを批判する側には、歴史的に「嫁に出される」女性の意思が尊重されてこなかったことへの怒りがあったのだと思う。しかし、同時に、息子や娘をヘルパーやコーデネータに委ねて、自立生活させる家族の側の正直な思いでもあったのではないか、とも思う。

知的障害者の母親の役割と知的障害者の自立生活の抜き差しならない関係については、もう少し考え続ける必要があるのだと思う。

「自立生活における」という話から、少し離れて、一般的な知的障害者と母親という話になったかもしれない。例えば、重度の知的障害のある子どもが自立生活をするかも、と考えたときに、環境が整っている地域はほとんどない現状がある。そんな時、まず親がコーディネータの役割を果たすことになる。母がコーディネータの一人暮らしと「自立生活」の関係も微妙だが、とりあえず他に選択肢はない。コーディネータの役割を果たせる人材や組織やヘルパーがどのように増やしていくかというのも、障害者、とりわけ知的障害者の自立生活を考えるときの大切な要素になっている。

~~ブログからの転載、ここまで~~

SNSに誰かからコメントがあり、これに関して思い出したのが福井公子さんの『障害のある子の親である私たち』という本。
メモは https://tu-ta.seesaa.net/article/201310article_4.html
こんなことが書いてあった。

「人間」宣言!
「神様から選ばれた人たち」
障害のある子の親はそう言われることがあります
「この子を産んでよかった!」
私たち親もよくそう言います
そして、社会の人はそのことに感動してしまうのです
でも、あえて私は「この子を産んでよかった」とは言いません
もちろん、息子から学んだことはたくさんあります
でも、「この子を産んでよかった!」と言ってしまえば
「すごいですね!」「えらですね!」「がんばって!」
それで済まされてしまうからです
私は決して神様から選ばれた人間なんかじゃない
人に感動を与える役目をもっているわけでもない
私は生身の人間です

子どもに障害があると知らされるのは、とても辛い出来事です
大きなショックや喪失を経験した人にまず必要なのは
心のケアだと言われています
それもできるだけ早いうちに…

親自身が自分への尊敬を取り戻さなければ
子どもなんて育てられるはずないのですから

私たち障害のある子の親は
誰よりも気持ちの支援を必要としている
普通の人間であるということにきづいてほしいのです

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