『「みんな違ってみんないい」のか?』という問いに (ほんの紹介94回目)

たこの木通信2025年12月に掲載してもらったもの。

『「みんな違ってみんないい」のか?』という問いに

(ほんの紹介94回目)

『「みんな違ってみんないい」のか?』という本。相対主義と普遍主義の問題というサブタイトルがつけられていて、その話も書かれているのだが、いつものように先行研究とかの難しい話は飛ばして読んだ。「みんな違ってみんないい」と思っていたぼくは、そんなに単純な話でもないということを教えてもらった。「みんな違ってみんないい」というとき、その「違い」がどこに起因するのか、というような思考を停止してあいまいにするのではなく、どうして違うのか、どちらかが間違っているかもしれない、相いれないと考えていたがいっしょに出来ることはある、というようなことを熟議する必要はあると思った。しかし、それでも最後まで残る「違うけど、両方とも間違ってはいない」というような話は残ると思ったのだった。この本の「おわりに」にはこんな風に書かかれている。

この本では、「正しさは人それぞれ」という主張が事実としても道徳的な態度としてもまちがっていることを論じてきた。

 ここで違和感を明確に意識した。確かに著者が書いているように「正しさは人それぞれ」というところで思考を停止してしまうのはよくないだろう。しかし、考え抜かれた末に、出てくる「正しさは人それぞれ」はあるのではないか? と同時にこれに続けて書かれている

 言いたいことはシンプル。「正しさはそれと関わる人が合意することで作られる」ということというのはその通りだと思う。読書メモを読み返すと版元の筑摩書房のこの本のサイトに以下のように書かれていた。

他人との関係を切り捨てるのでもなく、自分と異なる考えを否定するのでもなく――「正しさ」とは何か、それはどのようにして作られていくものかを考える。

 これを読んで、大切なのは、そういうことなのだろうと思ったのだった。同時に

 【「正しさ」は個々人が勝手に決めてよいものではなく、それに関わる他人が合意してはじめて「正しさ」になる】と書かれていた。これは絶対的な正しさはないという話だろう。これに続けて書かれているのは

【正しさは人それぞれ」でも「真実は一つ」でもなく、「正しさはみんなで作っていくもの」】という話

 ここで気になるのは「みんな」が正しいと判断した事柄が間違うこともあるということ。それをどう防ぐのかという観点が重要だと思う。

 そこへの答えとして使えそうなのが「絶対正しいことなんてない」のかもしれないが、「より正しい正しさはある」、暴力で正しさを押し付けるのではなく、話し合ってお互いに納得して決めていくのが正しい、という話。「まずは相手の言い分をよく聞き、それがもっともだと思えば従い、おかしいと思えば指摘し、相手の言い分を聞く。それを繰り返すことで、お互いに納得のできる合意点を作り上げていく」「これが、正しさを作っていくための正しい手続き」とのこと。同意のプロセスに時間をかけることは大切な話だと思う。しかし、期限までに決めなければいけないこともある。その期限を誰が決めるのか、どのような対話のプロセスが可能なのか、「より正しい正しさ」を求める正しさと実践の困難さを思う。

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この原稿のもとになった読書メモは
https://tu-ta.seesaa.net/article/519266247.html


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